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Myself アーカイブ

2003年02月22日

新Home Page完成。

ついに新Home Page制作が終了。
これからもこのHome Pageが
大いに盛り上がってくれる事を祈るばかり。
旧Home Pageはゆっくりと閉鎖する予定。
風邪で大事を取って休んでいたストリートも再開できそう。

2003年02月23日

サンボーン

古本屋にて俳優で一番好きなメル・ギブソンの出ている
「身代金」「リーサルウエポン3」の映画パンフが100円で出ていたので
即買いしてしまった。
リーサルウエポンは昔から王道の刑事物ながらも二人のやり取りが好きで
全部見ていて、音楽も良いなーと思っていたら
なんと、パンフを見たらサンボーン大先生ではないですか。
てことはSax始める前からサンボーン大先生の恩恵を受けていたことに。
今の私があるのもこの人がいたからというのが少なからずあるんだろうな。

2003年02月24日

当選してしまった

なんと遊びで送った懸賞で電動キックスケーターが当たってしまった。
到着するのは二週間後だそうな。
うーん。ちょっと楽しみ。
でも町中じゃいないんだろうなー。
夜中にこっそりレンタルCD屋に行く時に使ってみようかな。(笑)。
あと、車に積んで駐車場からちょっと離れた所とか・・・。
妙に子供に戻った気分です。

2003年02月25日

花粉症

近年は、この時期本当に辛かった。
しかし、そんな私に神の手が・・・。
どうも世の中には甜茶というお茶があるらしい。
そしてシソエキスというのもあるらしい。
まぁシソは知ってはいたが、なんとも花粉症に効くとは知らなんだ。
実はお試しということで去年の12月から飲んでいた。
花粉症の時期より二ヶ月くらい前が良いらしい。
仕事柄、本当にシャレにならない時があるのでワラを掴む思いでいたら
なんと、、、利いたんですねぇ。
今年は例年よりも花粉が沢山飛んでいるというのに
確かに何となく花粉症ではあるが、一日外にいても
風邪気味かなという程度で問題ない。
必ずしも利くと言うわけではなく、人によって誤差はあるものの
試してみる価値はある。

2003年02月26日

横浜の地域新聞はまかぜ

なんと、初めて取材を受けてしまった。
横浜の地域新聞で「はまかぜ」という新聞である。
おそらく、横浜市民なら無料でポストに入っているはずなので
知っている方も多いと思います。
今回は「春の教室特集」と言うことで取材を受けた。
私が講師をしている八景学院音楽科が「はまかぜ」の特集に
掲載されることになり、そこの講師の一人として
私がクローズアップして掲載されることとなった。
85文字程度の原稿と、このHome Pageのトップの写真を渡して
普段のレッスンのやり方などを語ってしまった。
嬉しはずかしと言った感じであった。
私が掲載される「はまかぜ」は3/14に横浜市民の皆様のポストに
見事投函される手はずである。
横浜市民の方々は是非、にやけながら見て頂きたい。

2003年02月28日

癒し

最近世間で騒がれている「癒し」であるが
私は実のところ、あまり理解を示していなかった。
確かに働き通しだったり、休みでも何となく休めなかったり
という事は良くある事である。
しかし、私個人としては疲れというモノは人の気の持ちようであり
休みなどなかったとしても、自分が夢中に日々を過ごしていれば
気にならないと決めつけていた。
そんな私であるが、ついに世間の仲間入りをする事になってしまった。
そう、自分流の「癒し」を見つけてしまったのである。
それは一種のアロマであった。
我が家はこの季節は喉の保護の為、昼夜問わず加湿器なるモノを
つけっぱなしにしているのである。
ふと横浜の東急ハンズを頼まれものを買いに
歩いていた時のことである。
加湿器のコーナーが設けてあり、そこで足を止めてしまった。
最初は喉の保護の為に、何か良いモノは無いかと探していたのだが
なんと、加湿器の水に混ぜて使うアロマを置いていたのである。
「へー、こんなのあるんだー。」
などと思い、眺めていると目に止まったアロマの香りがあった。
「ディープフォレスト」である。
ディープフォレストといえば、私がサンプラーに興味を持ち始めた
きっかけとなったアーティストである。
あの自然のフィーリングを彼等はサンプラーを使用して出していた。
私はそもそも、アロマは好きではない。
なぜなら、いわゆるローズや、ラベンダーに代表される
ピンク系や紫系の香りが苦手なのである。
鼻がどうも人よりも良いらしく、匂いすぎてしまう。
女性の香水でも、少々敬遠してしまう程である。
なので、普段は絶対に嗅いだりしないのだが
この「ディープフォレスト」がどうも引っかかり
手にとって嗅いでしまった。
・・・・・・
良い。
なんとも心地よいモノであった。
しかも、製品を見てみると1000円のボトルで
我が家の加湿器なら120回使える。
だいたいワンシーズン持つという計算になる。
何を思ったかそれを手に取りレジに行って買ってしまったのである。
どうも、安くて良いモノには弱いらしい。
家に帰って早速使用してみると・・・素晴らしい。
なんともリラックス出来て、気分転換に最適である。
だから世間は「癒し」にこだわるんだな。
などと考えながらソファに座っていたら
いつの間にか2時間ほど寝てしまった。
恐るべき効果である。
ここまで効くとは・・・。
そんなこんなで、すっかり「癒し」の世界にはまっている
今日この頃であった。

2003年03月02日

Design

風邪をこじらせて、このHome Pageを制作してから
すっかりDesignというモノにはまってしまった。
前々から好きではあったのだが
それに真剣に打ち込んだことは無かったのである。
素材の制作や配置、文字の選択、配色と考え出せばキリがない。
しかも、凝れば凝るほど限りなく深みにハマっていく。
最近は何となくソフトで色々なDesignを試したり
色々なDesignを見たりして過ごす時間が多い。
映画のロゴや、フライヤーなんかも勉強になって良い。
今後はどんどん自分でフライヤーなんかも作っていきたい。
このDesignは市販の教本みたいなモノが腐るほど出ている。
先日もその件で本屋に行ったのだが
一度入ると1時間、2時間は出てこない。
なんとも迷惑な客である。
しかし、本というやつは非常に高いため
おいそれと購入するわけにもいかないのである。
本屋という近所のDesign教室に通いつつ
家でその復習・予習をする。
なんと勤勉な生徒であろうか。
間の抜けた自画自賛をして、お開きとしたい。

2003年03月03日

カレンダー

今、私が座っている席の左に、カレンダーがある。
私の外見に似合わず、子犬のカレンダーだ。
色々な人がいると思うが、私はカレンダーを購入して
その月までは絶対に先を見ない。
なんか、一年分の楽しみが無くなってしまうからである。
だから毎月最後の方になると自分で次はどんなものか想像しつつ
めくっている。
しかし、このめくって次の月のカレンダーを見た時が一番のくせ者である。
そう、その先を見たくなるのだ。
なぜ、普段は平気なのにめくった時に見たくなるのであろうか。
一見あまり関連性が無いようにも思えるのだが。
また、間違えて二枚一緒にめくってしまった時などは
二ヶ月間落ち込むことになる。
自分で先を知りたくてめくるならまだ良いのだが
そのつもりがなくて、事故でめくれてしまった時の方が
ショックが大きい。
なんとも人間は面白い構造を持っている事か。
それとも、私が妙にこだわっているだけなのであろうか。
皆さんの小さなこだわりはどんなモノであろうか。
結構自分では気づかない方も、考えてみると
これはこれで良い暇つぶしになるかも知れない。

2003年03月05日

ネコと車

突然だが、駐車場が変わった。
今まで止めていた所よりも、ずっと近い場所に
今までよりも安い駐車場が出来たからである。
しかし、変わったのはそれだけではない。
ネコである。
前の駐車場では、その隣にあるアパートに
大量のネコが住み着いていて
その周りを我が物顔で歩いていた。
そして、どうやら私の車を寝床に選んでしまったのである。
私は職業柄、夜中に帰ってくることが多い。
この季節、彼等は外では寒いのであろう。
私が帰ってきた途端に、私の車のボンネットで
「遅い!」と言わんばかりに、乗って寝てしまう。
まぁ、外見が可愛いだけに何も言えない。
夜に寝ていて、そのまま癖が付いてしまったのだろう。
そのおかげさまで、彼等は昼夜問わず
私の車にて、ごろ寝生活を営むようになったのである。
もちろん、そこら中を土足で歩いているので
車の上は彼等の足跡で一杯である。
私がたまたま昼に車を使おうとすると
「しょうがないから貸してやるか」
といった風貌で、ゆっくりと車を降りる。
うーん。何ともネコっぽい。
多少はお礼の代わりになついても良いモノなのだが。。。
しかし、駐車場をこの度変更した為
彼等はすっかりいなくなってしまった。
そのため、車は非常に綺麗なのだが
車の上で我が物顔で昼寝をしているネコを見られないのも
何とも寂しいモノである。
私はどちらかと言うと、犬好きなのであるが
ふと、ネコも良いかなと思った今日この頃であった。

2003年03月06日

シャンプー台

本日、髪を切ってきた。
Liveの近いと言うことで
しばらく伸び放題だったのをばっさりと。
しかし、あのシャンプー台というのは反則である。
あれを最初にやられると、精神的にも落ち着いてしまって
切ってもらっている途中に眠くなる。
私は本来、髪を切るという事に妙な不信感を抱いており
前日より、精神的に落ち着かない。
なので、シャンプー台でやっとのこと落ち着くわけであるから
それはそれで非常に有り難いことである。
ただ、それで眠ってしまうのは切っている方にとっても
非常にやり辛い話である。
切っている方はただでさえ料金を取って他人の髪を切るわけだから
その責任は重大で、そのプレッシャーもあるはずである。
そこに来て、切られる方が眠ってコックリなんて事になれば
「切れるかー!」
てな事になるはずである。
また、切られる方も切ってもらうのに
頭を動かしてはいけないという罪悪感に駆られ
なんとか起きていようと必死である。
あの眠い時に何もせず、起きているというのは地獄である。
自分で洗う時は大して良いモノではないのに
なぜ人にされると、あそこまで良いモノなのであろうか。
サービスといっても、あのシャンプー台は
散髪業の方々が自分で自分の首を絞めているような気もしないでもない。
次回に行く時は、前の日に10時間以上寝てから行くことにすると
心に誓った今日であった。

2003年03月07日

アメリカ

アメリカでホテルマンの仕事をしている親戚が帰ってきた。
もう十数年も逢っていなかった。
お互い変わっていて、久しぶりという感じであった。
なぜだか解らないが、違う土地で暮らしていると
やはりその土地の人の顔つきになっていた。
明らかにアジア、ヒスパニック系の顔で
日本人のそれとは大きく違った。
私もアメリカに勉強に行こうとしていたのだが
一昨年から二度ほど機会を逃し、非常に残念な思いをしていただけに
彼との対話は非常にためになったし、面白かった。
彼はN.Y.に住んでおり、あと二年くらいは向こうにいるらしい。
是非是非、一度勉強しに向こうへ行きたいものである。
ホテルマンというだけあって
彼は日本語、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語の
五ヶ国語を楽々と話す。
不意にかかってきた携帯電話でフランス語を話していた。
さすがに語学の壁を感じてしまい
まずは英語をやらねばならないと痛感してしまった。
日本にいたとしてもインターネットなどを通じて
アメリカのサイトの情報を自由自在に読めれば
これは音楽的に素晴らしいことである。
今更ながらに今夜は英語の勉強に励んでいる。

2003年03月09日

500人達成

本日、このHome Pageをリニューアルして500人の方々が
訪れて頂くという記録を達成した。
前回のHome Pageでは考えられない事である。
それもこれも、ご贔屓にしてくださる皆様のおかげである。
非常に有り難い事で、感謝感謝である。
今後はHome PageのFavoritesのページの完成と
Music Testの種類を増やそうと考えている次第である。
このDiaryを見ている方々、もしリクエストがあれば
どんどんメールフォームからリクエストをして頂きたい。
今回のリニューアルで、メールフォームも非常に愉快なものと
なっているので、楽しめるかと思う。
これからも、このHome Pageの発展のため
尽力する決意を固めた本日であった。

2003年03月10日

今日は非常に充実した一日であった。
アメリカから帰ってきている親戚と
昼間っからずっと英語を教わってしまった。
N.Y.の話など、勉強になることこの上ない。

それと、もう一つ。
「ベーコンチィーズー、ダブールバァーガー」
この歌を皆さんは覚えているだろうか?
なんと、今年から御一緒させて頂いているVocalのKICOさんが
歌っているとの事である!
また、ななななんと、TVにまで出演しているそうな。
記憶の糸をたぐり寄せてみると、確かにいたようないないような。
他にも、フィニッシュコーワのCMでつのだ☆ひろ氏が
出演していたバージョンのバックコーラスは彼女だそうな。
なんとも驚きであると共に、偉い人と音楽をやっているんだなと
素直にミーハー根性が出てしまった。
私も早く多くの人が耳にしてくれるような機会を沢山持てるよう
精進したいと思った。
今日の夜は3/17のクロコダイルでのLiveのBANDのリハだったのだが
リハが終わって飲みながら話していると
やはり皆さん深く色々と考えていて
自分自身もっとしっかりしなければと考えてしまう。
やはり、少なからず自分に対しても甘い部分というのはあり
そんな所を修正しなければと反省してしまった。
とにかく、今日はホントに色々あって嬉しい一日であった。

2003年03月11日

電動キックスケーター

ついに我が家に電動キックスケーターなるものがやってきた。
ネットの懸賞に参加したら当たってしまったのである。
懸賞というモノは絶対に当たらないように出来ていて
おそらく会社の身内の人間に配りでもしているのだろうと
今までずーっと考えてきたが、その考えも変えねばならない事態となった。
早速乗ろうかと思ったが昼間はあまりに目立つので夜まで待つことにした。
夜の10時を回った頃になり、ついに試乗となった。
まぁ、多少なりとも楽になるかと考えていたがとんでもない。
結構なスピードで自動的に走るのである。
慣れるまで時間はかからなかったが、少々怖い。
特に下り坂は怖い。
おそらく、そこまでのスピードではないと思うのだが
ハンドルがチープなだけに体感速度は結構なモノである。
試しに歩いて6分くらいのレンタルビデオ屋に行ってみた。
快適である。
平らな道路なら非常に乗り心地が良い。
最初に軽く足で漕いでやれば、後はずっと何もしないでも進んでくれる。
つまり、一回スタートすれば電池が切れるまで走り続けるのである。
技術の進歩は素晴らしいモノである。
おそらく、これからも夜に人目に付かないように乗る事が
容易に予想されるが、気分転換には非常に良いモノである。
懸賞万歳。
やはりミーハー丸出しである。

2003年03月14日

掲載

地域によっては多少の遅れもあると思うが
地域新聞「はまかぜ」に私がついに掲載された。
肩書きがなんともパンチが効いていて良い。
と自画自賛しても仕方がないが
とにかく嬉しいことである。
もし、見かけた人はBBSにでも書き込んで頂きたい。

さて話は変わるが、いよいよ3/17のLiveが近づいて来た。
本日、最終リハも無事終わり、あとは本番を待つのみである。
今回は少し目標を立てながら吹いているので
是非試しに聞きに来て頂きたいと思う。
最近刺激になる事が多く、どのような成果が出せるか楽しみである。
準備万端で望む所存なので、宜しくお願いしたい。

2003年03月16日

経験と実力

最近凹み気味である。
今の私には経験が足りない。
今日、3/23のリハにて二本柳さんを見ていた。
彼は「アーティスト・ビレッジ」という音楽学校で講師をしている。
私より年上だし、この世界に入っての期間が長いので
当然と言えば当然だが、慣れている。
特に譜面に関しては相当強い。
私は今まで自分の個性とか表現力、リズム、音程などの
演奏の基礎的な事はやって来て
用意をしっかりすれば相当な自信を持っていた。
ただ、弱点が少々譜面に弱い。
もちろん、少し練習すれば相当難しいパッセージでも
楽に吹ける自信はある。
しかし、その少しの時間が無いケースもある。
彼はリハの進め方や指示の出し方。完璧である。
決して相手を傷つけない言い方で的確な表現をする。
そして自分の思う通りの方向にすんなりとまとめて行く。
本当に勉強になると共に、自分の経験の無さに愕然としてしまう。
まぁ、こんな事は今後も当たり前のようにあるだろう。
今までは、一人のPerformerとしてプレイをしてきたが
ここに来て、「必殺仕事人」にもなれる必要がある事を実感できた。
しっかし、本当に良い人である。
あのように、物腰を柔らかく、スムーズにBANDをディレクションされたら
どんな事でも協力して、最大限の力を出そうと思ってしまう。
まだまだ勉強することは多い。

2003年03月22日

電子レンジ

我が家の電子レンジは実に音楽的である。
私は差し支えなければ、モノは最後の最後、動かなくなるまで
徹底的に使い倒すたちである。
調子が悪くなった時点で、次の用意はしておくが
動かなくなるまでは手を打つことはしない。
今、電子レンジ君がそうである。
最初は多少起動が悪いだけだったのだが、段々と酷くなっていった。
そして今では操作する私の方が16Beatでノリながら押さないと
起動してくれない。
押すという動作には変わりなく、おそらく周りが見ていたら
何やってんだあいつ・・・
という事に確実になるであろう。
しかし、普通に押すといったノリの悪い人間には
彼はどうも心を開かないらしい。
彼を動かす方法はこうである。
まず、操作する側が16Beatでノリを作る。
しかもただの16ではなく、黒人のようなハネがなければいけない。
そして、その16のウラウラで温めボタンを押さなければならない。
もしノリが悪かったりすると温めボタンを押しても動いてくれない。
また、少しズレるとターンテーブルは回るのだが
肝心の電波が出ないため、一向に温まらない。
日に日に彼が引退した時の退職金は貯まるものの
彼はまだまだ若いもんには負けられんと余裕綽々で張り切っている。
そんなMusician的な彼は、今年で25歳になった。

2003年03月25日

久々

今日は慶應義塾大学のオリエンテーションのBANDのヘルプで
日吉にてリハであった。
カルアというサークルで、参加するのは久しぶりだった。
メンバーもガラリと変わっていたが、良いBANDである。
いかにも仲間という感じがして、居心地が良い。
おそらく4月の3日から数日の間、慶應義塾大学日吉校舎にて
演奏しているので興味のある方は覗いてみてはいかがであろうか。
決定ではないが、クロスオーバー研究会というサークルにも
顔を出すので、是非いらして頂きたい。

2003年03月27日

影響

私は影響されやすい。
というかされ過ぎである。
例えば、「ロボコップ」を見た後は姿勢が良くなるし
裁判系の映画を見れば口調がきつくなる。
他にもレーシング系のゲームをすると、カーブの時に体も横になるのである。
良くリハで変な口調や特別な言い回しをするメンバーがいると
自然とそれが移ってしまう。
また、尊敬したりすると、その人の雰囲気を何となく真似てしまう自分がいる。
ミーハーな自分としては何とも解りやすい性格である。
そして、今日も昼の裁判系の番組を見てしまい
口調が裁判調になっている私であった。

2003年03月28日

刺激

今日はアメリカに単身で勉強に行った
Slave of The Grooveの創立当初のメンバーである加藤久幸氏が
一時帰国したため、みんなで集まり恵比寿にて宴会となった。
やはり一年ちょっとの間で、一回りも二回りも成長しているのが
演奏を聴かずとも、見て取ることが出来た。
彼はアメリカに勉強しに行き、向こうから日本のDrums Magazineの
コンテストに応募し、見事グランプリを獲得したほどの
素晴らしい人物である。
彼が今住んでいるLAの話や、向こうでの体験談などを聞いて
非常に良い刺激となった。
私も4月末から一ヶ月近くNYに行く手はずとなっており
その心構えの準備をさせてもらったようなモノである。
久しぶりに逢って、バカな話から真面目な話まで
とても楽しい一時であった。
宮崎氏、杉山氏、山本氏、の三名をはじめ
彼の仲間が一同に集まった。
こんなにも慕われて、かつ音楽的に素晴らしい環境にいる彼は
本当に勉強になり、尊敬に値する人物だと思う。
これからも、お付き合いさせて頂くと共に
彼に負けないよう、日々努力あるのみと実感した本日であった。
本当に素晴らしい一時だった。
彼の体の無事と成功を祈るばかりである。

2003年03月29日

木蓮

初めて木蓮の花を見た。
というより、名前とビジュアルが一致していなかったのである。
真っ白で一見派手かなと思うのだが非常に気品がある。
実はすぐ近所に木蓮があったのを越してきて二年間見過ごしていたのである。
結構好きになってしまった。
日本人の曲で「木蓮の~」といった曲名が良く見られるのは
あの存在感あっての事なのだろう。
いわゆる「プチ感動」というやつであった。

2003年03月30日

アメリカ行き決定!

ついに念願のNY行きが決定した。
前々から決まってはいたのだが、航空券やら何やらを確実に取ってから
お知らせしようと思っていたのである。
4/23(Wed)に成田を発ち、5/19(Mon)に成田に帰ってくる手はずである。
今回は滞在費がナント無料。
前に書いた親戚のホテルマンの所にご厄介になるのである。
と言ってもそれなりのお礼は勿論するつもりである。
しかし、過去2回もアメリカに行きそびれた経験があり
三度目の正直と言うことで、今回は相当気合いが入っている。
NYのジュリアードと言わず、ボストンのバークリーも
一緒に見物してくるつもりである。
他にも、片っ端から芸術系の場所を回り、夜はLive三昧。
NYのLiveは3rdステージはセッションの所が多いらしい。
と言うことで、勿論Sax持参である。
向こうからもこのHome Pageの更新は可能なので
NYレポートを乞うご期待と言った感じである。

2003年03月31日

変な日本語

今日、外国人が日本語で買い物をしている風景を見かけた。
若い人で、どうやら東京のお土産を買っているようだった。
品物を選び、レジへ行って、お金を払い、商品を受け取る。
しかし、その受け取る時に彼は一言。
「カタジケナイ」
しかも、両手を合わせて言っているではないか。
誰だ、こんないい加減な日本語教えたの・・・。
おそらくThank Youの日本語を教えたのだろう。
本人は当たり前の様にやっているため、周りから見たら相当痛い。
はっきり言って人種差別とも取れなくはない。
日本に限ったことでは無いかも知れないが
なぜ、こうも変な言葉を最初に教えたがるのか?
しばらくすると、案内の日本人がやってきた。
普通のスポーツマン風のサラリーマンであった。
会話を聞いていてまた驚いた。
「ぶっちゃけ・・・・」
おい、そんな時事ネタまで教えたんか。
しかも妙なタイムラグが。
もう既に終わっているのに・・・。
とにかく、これを読んでいる方々。
もし、外国人に日本語を教える機会があったら
ちゃんと教えてあげましょう。
でも、気持ちが解らないでも・・・。

2003年04月01日

更なる高みへ

このところ自分が伸び悩んでいる気がする。
というより、自分の理想に自分が近づくスピードが遅く感じているのである。
しかし、最近はいろんな所で刺激を受けることがあり
少なくとも4月中はそのような機会が満載である。
そしてアメリカ。
どこまで伸びるかは解らないが、相当な所まで自分の能力を
もって行きたいと思うわけである。

さておき、エイプリルフールである。
皆さんはちゃんとウソをついただろうか?
私は毎年、夜になってエイプリルフールだと気がつく。
つまり、ウソをつこうと思った時には夜中だったりして
なかなかウソがつけない。
というわけで、今年もウソがつけなかった。
まさかHome Pagaでウソをつくわけにもいかない。
例えばこのDiaryでウソをつくと、しばらくの間ログが残ってしまう。
どうせつくなら大きなウソをついて
ウソをつかれた人のリアクションを見て楽しみたい私としては
やはり、実際の会話の中でつくのが一番である。
なので、来年に持越しである。
エイプリルフールに私と逢う人は気をつけよう。

2003年04月02日

私は傘が大嫌いである。
なぜなら、、、うっとうしい。
この一言に尽きる。
傘を差していても差していなくても
片手を奴に取られるのが嫌である。
しかも、奴は雨で濡れたら濡れっぱなしである。
雨粒を振り落としても、まだ濡れている。
また、使い込んでいけば、ますます水はけが悪くなる。
なので奴を差していない時には、体から奴を遠ざけなければならない。
基本的に雨が嫌いなわけではないので、人に迷惑がかからなければ
私としては自分が濡れてもOKなのである。
むしろ、楽しいではないか。
と言うことは、奴は本来私に必要のないもので
世間の常識から、仕方なく使ってやっているわけである。
それなのに何だ、あの態度は。

と言うわけで、傘の便利な使い方をBBSにて募集!

2003年04月06日

一休み

連日のLiveの疲れも、今日で大分とれた。
今日は、夕方から東京大学の「Pomp」というサークルの
オリエンテーションLiveのリハであった。
メンバーの中で数名知り合いはいたものの
ほとんどが初顔合わせであった。
慶應とはまた違った演奏のポリシーを持った方々で
非常に面白い。
個人個人がとても個性のある人ばかりで
それが溶けあった瞬間はなかなかであった。
おそらく皆さん堅かったので、次回のLiveでは
もっと面白いことになる事が予想される。
さて、明日は慶應のオリエンテーションLiveの最終日である。
新入生の方々はもうサークルは決まったであろうか?
もし、まだなら音楽練習棟の地下に来てみてはいかがでしょう。

2003年04月10日

スピード記録

ついに本日、このHome Pageをリニューアルしてから数えて
1000のアクセスを越えることが出来た。
個人のHome Pageとしては、非常に良い数字である。
これも皆様のおかげである。
感謝するばかり。
今後も面白い企画や記事を書き続けて行くので
是非是非、アクセスして頂きたい。
また、友人に勧めて頂くとこれまた嬉しい。
頑張ります。

2003年04月11日

カラス

都会のカラスはやかましい。
まぁ、カラスの声が大きいのではなく
人間とカラスの距離が近いからなのであろう。
それはさておき、最近家の回りのカラスの声を良く聞いてみることにしている。
実は気づいたことがある。
やつらは、相当声がでかい。
最初は距離の問題かと思っていたのだが
離れたマンションの屋上にいるカラスの声が
これまた良く通る声なのである。
と言うことは、、、腹式呼吸!
そう、彼等は腹式呼吸により、素晴らしい発声方法を身につけている。
こっちとら、正しい発声をするのに今でさえとんでもなく苦労しているのに
やつらは生まれつきその才能に恵まれているのである。
その上、体も大きく頭も良い。
良いことずくめではないか。
そう思ったら、無性に鳴き声がやかましく聞こえるようになった
今日この頃であった。

2003年04月14日

New Sax

実はひょんな事からヤナギサワにてSaxを作ることになった。
そう。伊勢モデル。
これはプレーヤーにとっては本当に夢のような話である。
よくぞ私の元に転がり込んでくれた。
今日はその最終打ち合わせだったのである。
緊急な予定だったので、元々入っていた予定を
キャンセルせざるを得なかった。
キャンセルされた方。本当に申し訳ない。
緊急の事とはいえ、本来はNGである。
懲りずに私を使って欲しいと願うばかりである。
で、話は戻ると本当は一から作るという話もあったのだが
最終的には一つ一つの個体差が気になったので
元々ある、良いモノをカスタマイズする事となった。
見た目はヤナギサワのピンクゴールドのSaxなのだが
中身が違う。
実はソリッドシルバーなのである。
非常に中高音がきらびやかで良い音がする。
とりあえず、音の部分で問題なかったので
もしかしたら16日のLiveにて初お目見えするかもしれない。
完成すればそれこそ世界に1つしかないSax。
うーん良い響き。
あー、ミーハーなり。

2003年04月17日

休日

今日はレッスンの仕事はあったのだが
久々にゆっくり出来た。
Saxも昨日はLiveというある程度変わった空間でプレイしていたので
やっとゆっくり吹く時間を取ることが出来て
色々な性質が解って、今後のスタイルに非常に面白く
関わってくると思われる。
しかし、Liveの後の休日というのは実に良いモノである。
だいたいの場合Liveの前は非常に忙しい日々が続くので
それを振り返りながら、貯まっていた自分の好きな事を
ゆっくりとまとめてやりながら過ごすのが実に良い。
そして、また次の忙しい状態に向けて精神的にも
肉体的にも準備を整える。
素晴らしい。実にリラックスした一日であった。
明日からまた忙しくなるので本日はこの辺で。

2003年04月19日

選定

慶應のクロスオーバー研究会の新入生の依頼で
渋谷のSelmer JapanにてAltoSaxの選定を行った。
彼は元々Tenorを吹いており、今度Altoにも挑戦したいとのことであった。
今回は6本の中から選んだのだが、Tenorから移るのに
丁度良いSaxあって良い結果となった。
特に、メイヤーのマウスピースに関しては非常に良いモノがあり
彼の今後の活躍が期待されるところである。
今後とも頑張って頂きたい。

2003年04月23日

出発&到着

本日、NY時間の15:00に無事NYに到着することが出来た。
まず、飛行機での失敗を一つ。
思いっきり田舎者の私は、CAに「何か飲み物は?」と
英語で聞かれたので、思いっきり「Ice English Tea Please.」と
言ってしまったのである。
すると、隣にいたFeu氏が間違いを指摘してくれた。
「Ice」とは日本語での言い方であって英語ではそうは言わない
英語では「Cold」なのである。
まだNYに着く前なのに、思いっきり行く前からつまづいてしまった。
しかし、CAがみんな外国人で英語しか話さないというだけで
既に感動してしまっている自分が情けない。
やっと飛行機を降りて、入国審査のカウンターに行くまでの
ちょっとしたアーティスティックなオブジェにも
大いに感動しているくらいなので、今後どうなるか全く想像がつかない。
ついに入国審査のカウンターに着き、今度は得意げに
観光であることを伝え、やっと英語でリベンジすることが出来た。
その後、いよいよ荷物検査と思い考えつく限りの答えを用意していたが
残念な事に荷物検査がないのである。
今の世界状況からJFK空港のセキュリティーは相当厳しいと
考えていたのだが、実際にはそこまで厳しくはないのである。
まぁ、日本からアホ面でいかにも観光という雰囲気の
私達を警戒する人間も少ないであろう。
荷物審査は飛行機に乗る時に成田で受けた荷物審査だけであった。
そうそう成田で飛行機に乗る時の面白い出来事が一つ。
成田を出る時に、アメリカに持っていっては行けないものとして
アルマジロとウミガメがあった。
他に持ち込まれてはまずいものが沢山あると思うのだが・・・。
とりあえず、お世話になるGaku氏の働いているHotelに行き
荷物を預けて、彼の仕事が終わるまでの少しの間
NYCを見て回った。
44westの44th St.の近辺を歩いたのだが
とにもかくにも、刺激だらけで面白すぎる。
おそらくミーハー根性全開になっている為とも思われる。
しばらく見て回ってから、少々疲れたので
どこかに入ろうという事になり、日本で散々言われていた
アメリカのマクドナルドに入ることになった。
アメリカから帰ってきた友人は皆が口を揃えて
「サイズがワンランク違う」と言っていたのだ。
早速いって様子を見ていると、ハンバーガー類は
日本とほとんど大きさは変わらない。
しかし、ポテトとドリンクの大きさが違う。
こちらのMサイズは日本で言うLLである。
ドリンクに至っては、LLよりも大きい印象を受けた。
味は、全く変わらなかった。

明日から、本格的にレポート開始である。

2003年04月24日

TOTO

今日は中学の時からの憧れのBANDである「TOTO」のLiveを見てきた。
場所はB.B.King Blues Clubである。
実は今日が最終日だったらしい。
チケットを買いに行くと
既に1stのステージはSold Outになっており
最後の2ndのステージのチケットを購入した。
その後で、時間があるので夕食をどこかで取ろうという事になり
これもまたTVなどで良く特集されていた
Grand Central Stationの中のOyster Barに足を運んだ。
メニューを見ると、なんとも20種類以上の牡蠣が置いてある。
Gaku氏にお願いして、適当に見繕って頼んでもらった。
値段はだいたい一つ$2前後である。
非常にアメリカっぽい雰囲気の良いBarであった。
仕事帰りの人々がちょっと寄って、ガッと食べて飲んで話して
みな帰ってゆく。
日本と違って、Barには時計がまず無い。
それだけ、時間を気にせずにゆっくりしてもらいたいという
心遣いであろう。素晴らしい。
一通り食事を済ませてからLive Houseに向かった。
このLive Houseは大きさは日本のBlueNoteTokyoとほぼ同じである。
席はステージに向かって右サイドであった。
音響的に、少々心配していたのだが、Liveが始まって驚いた。
まず音が凄く良い。
普通なら正面の中央よりも気持ち後ろの場所が一番音が良い。
なのに、このLive Houseでは右サイドでも
十分にバランスが取れているのである。
そして、距離も少しあるかと思っていたのだが
思ったよりもずっと近かった。
目の前でスティーブ・ルカサーを見ることなど
滅多に出来ないことである。
日本でTOTOのLiveを聞こうと思ったら8000円は堅い。
しかし、ここではたった$35である。
有り得ない。
Drumsのサイモン・フィリップスも凄く良い。
ジェフのDrumsとはまた違った良さがある。
また、演奏がとにかくタイトであり、余計な音が全く出ていない。
ちょっと遊びの音を入れても、とても重みのある音が出てくる。
とにかく感動しまくりである。
曲は最初からいきなり名曲メドレーである。
もう全曲知っている。というかCDに穴が開くほど聞いた曲である。
最近は聞いてもあまり感動しなかったのにLiveで聞くと
ここまで違うモノになるのかと実感させられた。
有名なAfricaやRosana、Georgy Porgyを始め
本当に涙が出てしまった。
日本のBlue Note Tokyoで見たハイラム・ブロック以来である。
NYに来て、いきなり感涙してしまった。
明日はリンカーンセンターへマイケル・ブレッカーや
ウィントン・マルサリスを見に行く予定である。

2003年04月25日

Jazz

今日はJazzの本場、NYのJazzを体験してきた。
場所はリンカーンセンター。
Jazzではなくオペラで有名な所である。
Live Houseというより、コンサートホールという感じで2700人収容できる。
これまた驚くほど優美で、しかも音がすこぶる良い。
本当に真っ直ぐ抜けてゆく。
私の座った席は前から19番目の右から5番目であった。
ちょうどPA席の少し前だったので音は最高に良かった。
出演者はデイブ・ホランド、マイケル・ブレッカー、ジョー・ロバーノ
ウィントン・マルサリス、他である。
最初はブレッカーを見られるということで喜んでいたのだが
実際にステージを見てみると、なんとジョー・ロバーノまでいるではないか。
ジョー・ロバーノはストレートアルトやストレートテナーで
非常に有名なSaxPlayerである。
前から非常に興味のある楽器だったので本当に嬉しかった。
最初はデイブ・ホランドのBANDで最後の曲にだけ
ウィントン・マルサリスとジョー・ロバーノ、マイケル・ブレッカーが
ゲスト出演していた。
ジョー・ロバーノはこの一曲だけの出演であった。
彼は今日はストレートアルトを使用していたのだが
本当にSopranoSaxの様な音がする。
それでいて軽い音ではなく、太く優しい音であった。
なるほど、これは面白い。
これでTenorをストレートにしたモノなら
どんな音がするのか、非常に気になるところであった。
ジョー・ロバーノとマイケル・ブレッカーともう一人
デイブ・ホランドのSaxがいたのだが
三人で順番にソロを回すと、やはりマイケル・ブレッカーが
ずば抜けて良いプレイをしていた。
散々コピーをしておいて、実は彼の演奏を生で聴くのは始めてである。
他の二人には悪いが、明らかに引き立て役になっていた。
音も、彼の音だけドンと前に出ていて良い。
そして、いよいよマイケル・ブレッカーのBANDが登場した。
Drums、A.Bass、Guitar、Saxの構成だった。
少々ブレッカーの一人舞台という感じもあったが
それでも、十分に幅のあるパフォーマンスで観客を魅了していた。
それに、アンサンブルも素晴らしいモノであった。
普通に誰かが何か仕掛けたら他のメンバーが何か返すというだけでなく
まるで示し合わせたように、いきなり何か仕掛けていく。
これが本当のJazzなのかと実感した。
やはりJazzはCDよりもLiveの方が圧倒的に素晴らしい。
CDではやはり迫力に欠けるモノがある。
そんなこんなでLiveは終了した。
感涙するといった種類の感動ではなかったが
非常に良い演奏を聴く事が出来て、凄く勉強になった。
そして、22:30くらいにSubwayに乗った。
夜の地下鉄と言うことで緊張していたが、さほど危険そうな
雰囲気もなく、人も多かったので問題なかった。
帰宅してから、3人でチャイニーズの出前を取ることになり
始めてアメリカのチャイニーズというものを体験した。
日本で言う中華料理というものとは全く別物である。
本当にリーサルウエポンやジャッカルなどの映画でみた
紙の容器に入っていて、素で感動してしまった。
安い根性である。
明日は、まだ本当に本人かは解らないが
Joe's PubにOmer's Soca Trioを見に行く。
本当にオマー・ハキムだと良いのだが。

2003年04月26日

Latin

今日はOmer Sosa Trioを見てきた。
そう。私が読んでいるTime Out紙の表記が間違っていた。
Omer's Soca Trioになっていたのである。
この微妙な間違いで私は勘違いしてしまったのである。
この間違いはチケットを買った時に解ったのであった。
場所はJoe's PubというLive House。
ステージの大きさは本当に小さく、グランドピアノと
パーカッションを置いたらそれで一杯一杯であった。
箱の大きさはCrocodileの1.5倍くらい。
ステージの割には結構大きい。
チケットを買って、席に向かう。
早めについたのでピアノの目の前の席であった。
Liveが始まってみるとやはりチケットの表記どおり
オマー・ハキム氏のBANDではないようだ。
しかし、音を聞いてみると内容はバリバリのCubaサウンドである。
最初はPianoとPercussionでガンガン押していく曲を
立て続けにプレイしていく。
その後でVocalというよりもラッパーといった方が良い
パフォーマーが登場した。
とにかく動きが可笑しい。
強烈なメッセージをドンドン送り込み、観客をわかせる。
そのパフォーマーは明らかにCubaっぽくはない。
しかし、この異様な雰囲気が一層Cubaリズムを引き立てる。
最後の方で、TenorSaxが登場した。
徹底的に効果音や早いパッセージを詰め込むタイプのプレイヤーだった。
Saxを聞かすというより、PianoとPercussionを引き立てる雰囲気だった。
PianoとPercussionがCubaから来た人らしく、その二人が中心らしい。
その二人を見たい人にしてみれば、非常に良いメンバーである。
本当にCubaのリズムを生で見れた事は大きい。
今後の曲作りなどに大きく役に立つだろう。

2003年04月27日

Cafe

今日はGaku氏の妹さんの友人のSayuri氏に
West Villege,Little Italy,Nolita,Sohoを案内して頂いた。
実は私のプロデューサーのMichi氏から教わった
色々な穴場のスポットの場所が良くわからなかったのである。
とくに、今日案内してもらった所は、NYCの中でも
整理された区画ではなく、道に迷いやすい所なのである。
Sohoで待ち合わせをして、その後でお薦めのCafeに入った。
やはり、地元の人が行くCafeはひと味違う。
日本のCafeというとBGM程度に音楽を流すが
ここでは話がしにくい位にガンガンに音楽を流して
みんな大声で叫んで話している。
BreadというSohoのお店だったのだが、外観も非常に良い。
白い建物で、テラスというか道に思いっきりはみ出して
机やら椅子が置いてある。
こちらのCafeの特徴として、ちょっとお洒落な所には
看板があえて無いのである。
つまり、店に入って中をちょっと見てみないと
店の名前すら解らないのである。
外観だけで人を呼ぶというのは非常に面白い。
その後で、お薦めの場所や私が行きたいのだが解らない場所を
軽く通って、BlueNoteの前を通り、パンフをもらい別れた。
彼女は今度日本に出来るフォーシーズンホテルの
デザインを手がけている会社に勤めている。
それだけに、非常にアーティスティックな場所を沢山教えてもらい
後日、ゆっくりまた見て回ろうと思う。
明日はマイク・スターンのLiveを見に行く。

2003年04月28日

Mike Stern

本日、諦めかけていたMike SternのLiveを見ることが出来た。
日本を出る時に丁度、彼のLiveをやっていて
こちらに来る頃には終わっていたのである。
しかし、インターネットに掲載されていないお店で
Liveを行っていたのである。
彼のLiveは22:00からだったので、それまで時間を潰しに
Midtownを散策することにした。
Gaku氏の話によると、W47stの近辺に楽器店の通りがあるという。
大分迷って、やっとその楽器店の通りに着いた。
その頃にはもう19:30を回っていて、あまりお店は開いていなかった。
一つだけ開いていた管楽器店に入ると、素晴らしい広さである。
楽譜も非常に充実していて、真面目に全部見て回ろうとすれば
2時間くらいかかるだろう。
これと同じくらいの広さの管楽器店がサッと見ただけだが
あと2つはあった。
その内の一つは中古も取り扱う管楽器店であった。
とにかく後日かならずゆっくり見て回ろうと思う。
絶対に試奏したい楽器が幾つかあったのだ。
その後、食事をしにバーガーキングに入った。
数年前までは日本でも良く見かけたのだが
最近はめっきり見なくなってしまった。
アメリカということで、やはり小さめを頼んでみる。
日本のLと大体同じくらいである。
こちらのLを頼むと、一見2Lは入るかという巨大な容器に
飲み物が来る。
ポテトなどはそれだけで3食分の大きさである。
その後で、今日のLiveがある場所へSubwayで移動した。
それでも時間が余ったので、今度はスターバックスに入った。
日本とは全然メニューが違う。
数が圧倒的に多いのである。
日本だと、店舗の広さの関係で機材などが入れられないのだろう。
しかし、こちらの人々は異常である。
体の大きさでは、私とあまり変わらない女性でも
平気で2Lのペットボトルの様なフラペチーノを飲んでいる。
あんなモノをそんな量飲んだ日にゃー、とんでもない事になる。
それでいて、太ったりしていないヤツもいる。
無茶苦茶である。
やっと時間になったので、いよいよ今日のLiveが行われる
55BarというLive Houseに向かった。
とにかく狭い。
最初は、この店でどうやってLiveをやるのか全く理解できなかった。
しばらくすると、奥のスペースをちょっと片付けて
3メートル四方のスペースを作った。
そこにDrumsとBassがやって来て準備を始めた。
確かに何とか演奏スペースは確保出来ているようだ。
ではPAは?などと考えたのだが、ここではPAは無い。
つまり全部生音なのである。
Mike Sternみたいな人が生音でLive!?
と思っていたが、どうやら本当に生音だけのようだ。
今日のメンバーはDrumsはRichie MoralesでBassがLincoln Goinesだった。
私はCDでしか聞いたことがないので、生で彼等の演奏が見れるというのは
非常に嬉しい限りである。
それにMike Sternもあまり日本でLiveを行っていない。
それが、こちらでは結構頻繁にやっていて値段も異常に安い。
今日も、ドリンクが2つ込みで$15である。
日本のBlue Noteなら、このドリンク2つで、十分に$15を超える。
その上、Music Chargeを取られるのだから、本当にこちらは安い。
たった$15でLiveが見れて、飲めてと、本当に素晴らしい。
BassとDrumsの準備が終わって、22:00を回った頃に
やっとMike Sternが登場した。
開演時間を過ぎてからやって来て準備を始める・・・
何ともアメリカンな感じが良い。
最初はゆったりとMike Sternのソロで始まった。
プレイの種類とか、好き嫌いなどは抜きで
一つの楽器を本当にやり抜いている人の音がする。
まるで自分の体の一部のように、次々と音が出てくる。
本当にCDとは全く違う。
これを見てしまうと、もしNYCに住んでいたら
彼のCDは買わずに、Liveを見に来るだろう。
それ程、圧倒的にCDとは違った。
CDでは、表現しきれない部分は沢山ある。
こういうLiveを聞いてしまうと
CDとは本当はデモテープの様なもので
それが実際のLiveよりも値段が高いというのは
バカバカしく思えてしまう。
Liveは徐々に盛り上がりを見せ、Richie Moralesが
爆音でDrumsを引っぱたいて行く。
Lincoln Goinesはそれとは逆に、静かに盛り上がりを見せる。
この二人の関係がMike Sternの演奏をしっかり支えている。
Richie Moralesも音は大きいが、Mikeのプレイを決して邪魔しない。
Lincoln Goinesも、控えめだが出るところはしっかり出てきて
全く無駄がない。
素晴らしいコンビネーションである。
PAが無くても、音量バランスはしっかり彼等が取っているのである。
最後は大きく盛り上げてLiveは終了した。
私の席はBANDの目の前で、彼等との距離は1メートル弱である。
まるでステージにいるかの様な距離だった。
まさかこんな席が取れるとは思わなかった。
しかも、このLive Houseはステージが無いので
視線の高さも全く同じである。
たまにMikeは私の目の前30cmの所でGuitarを弾いてくれた。
とにかく素晴らしかった。
Liveが終わってからRichie Moralesとはあまり話すことが出来なかったが
Mike SternとLincoln Goinesと話をして、写真を取った。
何とも夢のような一日であった。

2003年04月29日

初レッスン

ついに待望のレッスンが今日行われた。
先生の名前はAlec Haavikである。
2m近くある大男なのだが、非常に優しい風貌であった。
彼はTenorがメインで、最近まで韓国に長期滞在していたらしい。
なので、NYで今のところLiveは行っていないとのこと。
早速、基礎からたたき直してもらおうと交渉してみた。
まず自分が普段やっている基礎を見せた。
「great」の一言で終わってしまった。
その後で彼が教えてくれたのは、Saxを吹く前のエクササイズである。
つまり、基礎の練習方法は一応問題無いと言うことらしい。
で、より早くSaxを吹く体にするためのエクササイズを教えてくれた。
つまり、スポーツ選手のウォーミングアップである。
そういえば、Saxを吹く時に準備運動なんてしたことが無かった。
いつもいきなりフルパワーで吹き始めていた。
なるほど、これをやると体の緊張というか、準備が出来ていくのが解る。
彼はTenorということで、私よりも体への負担が大きい。
なので、こういう準備運動も念入りに行っているらしい。
一通り教わってから、今度はインプロビゼーションのレッスンである。
初見でRecorda-meという曲をいきなり吹いて、アドリブをしろという。
メロを吹くのがメインではなく、アドリブを見たいという。
結構キーチェンジの多い曲で、All The Things You Are位の難易度である。
いきなりGiant Stepsじゃなくて良かった。(笑)
5コーラス位やったところで、一度止めた。
基本的には良いとのこと。
ただ、コードに少し囚われていると言うのである。
実は、最近コードをもっと突き詰めて、スケールや連結の仕方を
非常に悩んでいた所だったのである。
しかし彼の言う事は全く逆であった。
もっとFreeになれという事らしい。
そして、自分独自のスケールを作るという事を教えてくれた。
ここからは企業秘密としたいので、作り方云々は秘密。
彼のスケールを見てみると、本当にFreeな感じがする。
アウトしているとも言えるし、オルタードっぽい雰囲気で
アウトしていないとも言える。
これは非常に興味深い。
私が悩んでいた事を、全く別の角度から解決してくれたのである。
勿論、これで全部OKというわけではない。
しかしながら、これは今後のプレイに非常に大きく影響してきそうである。
そんなこんなで、レッスンは終わった。
来週の火曜日にまたレッスンをする事になっている。
非常に面白いレッスンであった。
その後、家に帰ってこの文を書いている時に
なんとEtherケーブルが途中で切れてしまった。
これは非常にまずいという事で、またマンハッタンに出た。
こちらの有名なパソコンショップの一つである「CompUSA」という
お店に行って来た。
店に入って見ると、何とも驚いたことが一つ。
MacintoshもWindowsも日本よりも安いのである。
よくよく考えてみれば、高級ブランド品と同じで
アメリカの会社、つまりAppleやDellなどであるが
こっちが本場なのだから、安いのは当然なのである。
と、買ってもいないのに得した気分でいる私に不幸が訪れた。
日本でEtherケーブルというのは非常に安くて
10mでも1000円するかしないかなのである。
しかし、しかしである。こちらでは14feet約4.1mのケーブルが
なんと$32もするのである!!!
しかし、背に腹は代えられないという事で泣く泣く購入。
これがMike SternのLiveの二倍とは・・・。
なんとも涙ぐましい事である。
彼のLiveなら、日本で5000円以上の価値がある。
カルチャーギャップというか、何というか・・・。
ともあれ、なんとかこのDiaryを書くことが出来たので良しとしよう。
明日は、チェルシーの方を色々見て回ろうと思う。

2003年04月30日

ギャラリー

今日は久しぶりに何も無い日なのでNYCの中でもギャラリーや
古本、中古CDなどを売っているお店の多いチェルシーに出かけた。
まず、最初にイーサン・ホークが撮影に使ったホテルで有名な
チェルシーホテルに足を運んだ。
外観、内装ともにあの映画そのままである。
非常に素晴らしいホテルである。
特に綺麗とか、そういう事ではなくて、雰囲気が非常によい。
ロビーや廊下、受付のカウンターなど、良い感じである。
こんな所で曲を作ったら、さぞやはかどるのであろう。
次に、いよいよギャラリーのStreetに足を向けた。
10ave.と11ave.の間で22~24st.の周辺は、そういう所が多い。
いろいろ見て回って、Michi氏のお薦めの「303」という
NYで今、キュレーターなどの間で絶賛の場所に到着した。
中に入ってみると、既に幻想的な雰囲気が漂っている。
オブジェの様なもので全て正方形しか使っていないのに
これだけの雰囲気が出せるとは驚きである。
他にも髪の毛に関係するモノだけで制作したオブジェもあった。
これまた、髪の毛に関係するモノだけで色彩、質感など
非常に興味深い雰囲気である。
音楽で言えば、同じコードを使っても
ここまでの雰囲気を出すと言うことは非常に難しい。
この近辺は非常に勉強になった。
その後、リチャード・ギアも良く訪れるという軽い雰囲気の
アルミのバスを改装したような雰囲気のCafeで食事を取った。
店員のお兄さんが非常に格好良い。
まるでバッファロー66の主人公の男優のようである。
しかも私の片言の英語を理解しようと、非常に優しい。
これは女性ならコロッと行ってしまう風である。
そして今度は6aveの方へ向かい、そこから18st.に出た。
そこの通りは初版本ばかり取り扱っている古本屋や
JazzやClassicを中心に素晴らしい在庫を誇る中古CD屋がある。
本屋を回ってみると、古くさい良い雰囲気がもうプンプンする。
日本だと「汚い」と言ってしまうのに、この違いは何なのだろうか。
本棚も汚いと言うよりも年期が入っているという表現が似合う。
解りやすく言えば、ハリーポッターの映画に出てくる本屋の雰囲気である。
そして、ついに世界中のJazz,Classicのコレクターが集まる
中古CD屋「Academy Records&CD」に到着した。
もう棚の上の方までびっしりCDが入っている。
私は三回ほど背の高い人に頼んで取って貰った。
「ていうか、あんな高いとこ届くか!!」と言いたい。
そこでとりあえずCDを15枚くらい購入。
ジョー・サンプルの古いCDやコルトレーンのトリビュートを手に入れた。
他にもCubaやAfriceのCDも購入した。
さすがに疲れ果てて、帰路につくことにした。
もう歩き通しの一日であったが、収穫は大きい。

2003年05月01日

準備

今日の午前中から午後にかけて、Alecのレッスンの準備を行った。
自分のスケールを作るというのは非常に難しく
センスを要する作業であるが、何より面白い。
この「自分の」というのが良い。
とかく「自分だけ」とか「たった一つの」などの言葉に弱い私としては
素晴らしい作業である。
とりあえず幾つか作っては見たが、まだまだ足りない。
今後とも精進が必要である。
その後で、Time Out誌やVillege Voice誌などを見て
帰国するまでに行くLiveを決めた。
マンハッタン・トランスファー、マーカス・ミラーは
おそらく行くことが出来ると思われる。
他に、チケットが取れるか解らないがSouliveやジプシーキング
ジョン・スコフィールドなどにも行く予定である。
そして、なんとなんと、我が心の師匠であるStevie Wonder氏の
Liveがあるではないか!!!
しかも場所はBB King Blues Clubである。
あそこなら早くから並べば良い席が取れるはずである。
これもチケットが取れるか微妙である。
しかし絶対に行きたいLiveである。
他にも、Tower of Powerがあるのだが、今のところSold Outになっており
当日のキャンセルチケットを頼りに行くしかない状況である。
夕方から、Gaku氏の友人で元プロテニスプレーヤーの柴田薫氏と
夕食を取ることになった。
Gaku氏はロンドンに実家があり、日本のテニスプレーヤーに
滞在させている事が多かった為、知り合いになったそうである。
もう引退しているとはいえ、プロの風格が漂っていた。
彼女は慶應の湘南キャンパスの総合政策に所属していた。
彼女がいた時の慶應の女子テニスは、黄金期と言われるほど
素晴らしい活躍だったという事である。
非常に光栄である。
明日はチケットを取りに街へ出て、もしかしたらStreet Liveを
強行するかも知れない。
天候と、気分次第である。

2003年05月02日

チケット入手、そして・・・Live!

本日、やっとほとんどのチケットを入手することが出来た。
ジプシーキング、マンハッタン・トランスファー、マーカス・ミラー
スティービー・ワンダー(トリビュート)、ジョン・スコフィールド
そしてSouliveである。
見ればお解りのように、スティービー・ワンダーは本物ではなく
トリビュートであった。
しかし、それでもこちらのミュージシャンが彼の曲を
どう料理するのかが非常に興味深いところである。
また、Tower Of Powerのチケットは既にSold Outになっており
メールを出したところ、当日のキャンセルや、当日だけに出すチケットが
存在するため、早めに並んでいれば取れるかも知れないとの事であった。
というわけで、おそらく3時間くらい前から並ぶ予定である。(笑)
チケットを買い終わったところで、ストリートをやろうと思っていたのだが
NYはあいにくの大雨となってしまった。
非常に残念である。
そのため、日本へのお土産選びの日になった。
そして、Gaku氏や柴田氏と今日は新しくOpenしたイタリアンのお店が
大人気と言うことで行くことになった。
Gaku氏はHotelのレストランのマネージャーということで
こういう情報は本当に早く入手している。
食事を満喫した所で、もう10時過ぎだったのだが、雨が止んだ。
日本では考えられない時間帯だが
NYでは少しの間なら吹けるということになり
早速、近くのワシントンスクエアに向かう。
公園の真ん中まで来てついに念願のK.Ice Street Live in NYの開始である。
時間は10分程度しか吹けなかった。
しかし、その間にも結構人の足は止まるものである。
特に珍しいのか、在住の日本人は必ず足を止めていた。
嬉しかったのが、アメリカ人も結構見てくれるのである。
これは晴れた日にまた出来れば面白いことになるかも知れない。
で、10分くらい経ったところで、警察が来た。
というのも、雨の降った後のNYはもの凄く寒く
皆家に帰って寝ている事が多いらしい。
そのため、警察が来たのである。
しかし、、、
やはりNY。警察も言い方が全然違う。
5~6人くらい周りに集まっていたためか、警察は私の所に来て
ライトを顔に当てて、顔を確認した後で最初に言った言葉は
「Very Good!」なのである。
信じられない。日本なら、やかましいからとっとと失せろ!位の事を
言われるのに、誉められた。
で、その後で、今日は早めに引き上げるよう、理由と共に教えてくれた。
時間的に既に遅く、犯罪に巻き込まれる可能性が高いとの事であった。
そして、最後に明日の昼間に来れば、もっと人が集まるから是非おいで。
と一言残してくれた。もう感動ものである。
東洋人という事もあり、冷たい事を言われると思っていた自分が情けない。
なんとも暖かいものである。
しかも、警官はBlackの人なのがまた嬉しい。
変な先入観からか、Blackの人は
運動神経が良くて、音楽にもうるさいと思うのである。
そのBlackの人に、こう言ってもらえた事は本当に嬉しいことであった。
体感温度10度以下のNYでの何とも暖かい出来事であった。
明日はジプシーキングを見に行く。
その後で、もしかしたら日本人のJazzDrumerである小山太郎氏の
セッションを見に行けるかも知れない。
実は小山氏は私が中学の時から、色々と良くして頂いているのである。
その後、NYに渡り、単身頑張っている。
驚きなのがAlecの知り合いだったのである。
彼に連絡先を聞いてメールを出したところ、見事に返事が返ってきたのである。
と言うわけで、もし明日行けなくても、明後日のBlue Note NYの
昼のGIGは必ず行く予定である。

2003年05月04日

Blue Note NY

今日はBlue Note三昧な一日であった。
というのも、夜のManhattan TransferのLiveは予約していたのだが
昼のBrunchのGIGに小山氏が出演するので
昼夜と両方とも見に行ったのである。
まず昼の部であるが、昨日は本当にスネアとライド、ハイハットの
三点セットだけの演奏だったのだが、今日はフルセットの
小山氏のDrumsを聞けると言うことで、非常に楽しみにしていた。
Blue Noteに着くと、入り口付近に小山氏がいて、軽く挨拶を交わして
小山氏を一番見やすい席についた。
今日のLiveのGuestであるTim Amacost (ts)は小山氏ご推薦の
素晴らしいSaxプレーヤーらしい。
こちらも非常に楽しみである。
しばらくしてLiveが始まった。
やはり昨日とは違って非常に迫力のあるドラミングを見ることが出来た。
昔からの小山太郎氏の一ファンとしては非常に嬉しい限りである。
演奏もヒートアップして、最後の曲では非常にアクティブなソロを
聞くことが出来た。
SaxのTim Amacost氏も素晴らしいソロを聴かせてくれた。
非常に楽しいJazzど真ん中のLiveであった。
ステージが終わった後で小山氏がTimや、他のメンバーを紹介してくれた。
私を紹介する時に「期待の新星」と言ってくれるのは非常に嬉しいが
恥ずかしい限りである。
特に、Timの演奏を聴いた後では、非常に後ろめたい気分であった。(笑)
Timを紹介してもらう時に、片言の英語で喋っていると
急に彼が「はじめまして」と日本語で話してくれた。
どこかで単語をならったんだなぁ。と思っていたら
いきなりベラベラに日本語を話しだした。
これにはさすがに驚いた。
セイン・カミユを始めて見た時のような衝撃であった。
彼は日本に住んでいたことがあり、日本語が話せるのだそうな。
その後で野瀬栄進氏(P)と井上陽介氏(b)を紹介して頂いた。
両氏は小山氏の帰国に合わせて一時帰国して、一緒にLiveを行う。
私も、聴きに行く予定なので是非是非お薦めである。
詳細は小山氏のHome Pageにて掲載されている。
Timや小山氏と写真を撮った後、小山氏が一言声を掛けてくれた
「この後のマントラのDrumsにシンバルスタンドを貸してくれて
有り難うって伝えてね。」との事である。
何とも心優しいお心遣いである。
彼のFriendだと言って話しておいでと言ってくれたのである。
そうすれば、Manhattan TransferのDrumsと話す機会を得ることが出来る。
本当に優しい方だと感動してしまった。
そんなこんなでBlue Noteをとりあえず出て、暇つぶしに街へ出た。
昨日の楽器街の方へである。
今日こそはと思ったのだが、なんとも今日は日曜日。
NYのお店は楽器店にかかわらず、日曜日は休みか
早めに閉めてしまう所が非常に多い。
残念だが、仕方がない。
また、Blue Noteの近辺へSubwayにて移動する。

今日は日本にもあるSubwayで夕食を取った。
こちらのモノは気持ち大きい気がする。

そして開場時間である6時の10分前にBlueNoteの前についた。
既に一組並んでいて、その後ろに並んだ。
二番目なら相当良い席が取れそうである。
開場して、すぐに一番前のVocalの真ん前の席をGetする事が出来た。
しばらくすると紳士的な白人男性と綺麗なチャイニーズドレスの
アジア女性の老夫婦が私の席の隣に座った。
注文をすませてから、私の方を見てなんと日本語で話しかけてきたのである。
昔、日本語を勉強したらしい。
しかしながら見事に日本語を話していた。
そしてLiveが始まった。
最初の一音から、素晴らしいハーモニーである。
しかも複雑なJazzyなコードを完璧にハモっている。
しかも一番前なので迫力は満点である。
ただ、一つだけ良くないのは
近すぎたのである。
つまり見上げる形となり、首が少々痛かった。
マーカス・ミラーを見る時はもう少し考えて席を取ろうと思う。
見事なハーモニーとステージパフォーマンスで
大盛況の中、Liveは幕を閉じた。
やはり、歳を取ってしまっている為、Powerは多少失われるが
積み重ねてきた経験からくる技術は素晴らしいモノがある。
また、Powerが多少落ちたとはいえ、見た目からは想像もつかない
力強さが感じ取れた。
本当に素晴らしいパフォーマンスであった。
Liveが終わり、DrumsのSteveと話す機会を得た。
これも小山氏のお陰である。
少し話して、彼とも写真を撮ることが出来た。
残念ながら、写真は少々ぼけてしまった。
そんなこんなでBlue Noteを出て、帰りの駅での事である。
先程の老夫婦と偶然一緒になった。
しばらく話して、私がミュージシャンだということが解ると
彼は自分が楽器の問屋をやっていると言うではないか。
これは奇遇な出会いもあるものだと、名刺を交換した。
そこで驚いた。
彼はカナダ人でカナダで会社を営んでいるのだが
名前がFred Kief氏という。そして、会社の名前がKief Music LTD.
そして肩書きには。。。。President!!!!!
そう、社長なのである。
素晴らしい出会いである。
話によるとマーチンなどのメーカーを取り扱っているとのこと。
Saxや電子機器も取り扱いがあるらしい。
石橋楽器やプリマ楽器、クロサワ、イケベといった
日本の楽器店は勿論のこと
モリダイラなどの中間業者までしっかりと把握していた。
しかも日本語も非常に上手い。
何とも奇遇ながら楽しい一時を過ごし、彼等は電車を降りていった。
まさかNYでこんなにも面白い出会いがあるとは
非常に喜ばしいことである。

とにかく今日も一日素晴らしい日であった。

2003年05月05日

無念なり

Tower of PowerのLiveに行けなかった。
何とも残念無念である。
このLiveに限って当日券というモノは存在しないそうな。
また、キャンセルもギリギリまで待ったのだが、無かった。
非常に残念である。
昨日が非常に良い一日だったため、そのツケが回ったのだろうか。
しかし、転んでもただでは起きないこの性格の為
少しでもNYを満喫しようと歩きまくる事にした。
最初に行ったのは、小さいのだが非常にマニアックな
中古レコード店であった。
店内も歴史のある店の雰囲気である。
中を見ると、どうもパンク系を主に取り扱う店のようである。
しかし、店内はそんな雰囲気ではなく
いかにもJazzを置いていますという感じだった。
このギャップがまた面白い。
Blue Note NYやVillege UndergroundがあるW3rd St.の近辺は
面白いCafeやCiger Shopが軒を連ねている。
外からは普通のアパートにしか見えないCafeもあり
絶対に誰かに連れて行かれないと解らない。
それでも成り立っていると言うことは
良い店の証拠である。
私が煙草が嫌いであるが、箱を見るのは結構好きである。
こちらの煙草や葉巻は、非常にユニークな箱のモノが多く
それだけでも家にオブジェとして成り立つモノが多い。
最後に、この地域ではちょっと大きな雑貨屋さんに入った。
そこで、ついにとある人に頼まれたメジャーを発見。
二つあったが、安いので両方とも購入。
この雑貨屋はなかなか趣味が良い。
もしこちらに住むとしたら、ここのモノで揃えたいと思うほどである。
中には「毎日香」もあった。
日本の線香がこちらでは癒し系の道具として
広まっているようである。
露店の香を売っているお店も、日本の線香っぽい香りを
漂わせているお店が多かった。
NYの街には所々に、いきなりバスケットコートが現れる。
それも、ハーフコートではなくフルコートである。
時には二面、三面ある所もあった。
さすがに本場なだけあって、みんな熱心に練習や試合をしている。
ちょっと足を止めて見ていても非常に面白いものである。
それと、自動販売機が無いことにやっと気付いた。
やはり治安の関係からであろうか。
その代わりといっては何だが、街のいたるところに
HotDogやNutsを売っている屋台があり
そこに飲み物が売っているのである。
しかしながら、NYの街や店は基本的に汚い。
なのに、それが良い雰囲気に映ってしまう。
最初は始めての土地だから、目が色眼鏡になっているのかと思っていたが
どうやらそうでは無いのである。
看板や店構え、オブジェ、どれをとってもセンスの良いモノを置いていて
その為に、汚く見えないのである。
一歩間違えれば、見窄らしい場所になりかねないが
そこがまた面白いところである。
こんな感じで一日を終えた。
明日はAlecの所へ二度目のレッスンに行く予定である。

2003年05月06日

レッスン2

ついに二回目のレッスンを受けることとなった。
12:00にAlecの家に行ったところ、女性の方がインターホンに出た。
不思議に思い、レッスンの事を告げると、とりあえず上がって欲しいとのこと。
家に行くと、Alecの彼女らしき人が出てきた。
彼は今、中国語のレッスンに行っているらしい。
ん、レッスンを忘れられたのか?と思いながら
彼女と色々話していると、彼は私が14:00に来ると思っているらしく
13:00くらいに帰って来るという。
彼女はAlecとの付き合いは長いらしく、日本にも一度二人で
遊びに来たことがあり、京都が大好きらしい。
しかしながら、彼女は早口でなかなか聞き取ることが出来ない。
余談だが、綺麗な人である。
帰ってくるまで、Saxを練習して待つことになった。
練習しようと、前回のノートを出して考えてしまった。
そこには12:00を消して14:00と書いてある。
もしかして、私のミスかも知れない・・・。
とりあえず、彼女にその事を告げておいた。
どうやら、Two O'clockとTwelve O'clockがサッと言われた為
逆に考えてしまったようである。
練習をしているとAlecが帰って来た。
時間を間違えた事を言うと、彼はこういった。
「君を長く待たせてしまって悪かったね。」
なんと良い人なのであろう。
ホッと一息ついたところでレッスンを開始した。
まずは自分のスケールを作ったものを見せた。
一通り吹いて、彼に間奏を聴いてみると「Great」
良かった。上手く出来ていたようである。
私が作ったスケールは全部で6つ。
その中の二つはどちらか迷った為、両方書いて置いた。
彼に聞いて、どちらか一つをチョイスしてもらい
5つのスケールが完成した。
その中でも、彼は特に2つを良いと言ってくれた。
そして、このスケールを使った二次的な練習方法を教わる。
Jazzのように転調の連続の時に、非常に役に立つ練習方法である。
次にRythmの話になった。
これに関しては、アンサンブルの中での自分の確立方法や
より安定してプレイする考え方などを教わった。
他にも、インプロビゼーションでの面白いRythmの取り方なども教えてくれた。
今回も非常に為になるレッスンであった。
次回は今度こそ14:00とちゃんと筆談で約束をして片付けに入る。
片付けながら、管楽器の良いWeb ShopやSaxの非常に良い本などを教えて貰った。
早速明日にでも見に行ってみようと思う。
Alecの所から家に帰って早速Webを見てみた。
素晴らしい製品の数々である。
Liveなどで非常に役に立ちそうな製品が沢山あるではないか。
日本では絶対に考えられない在庫である。
素晴らしいお店を教えてくれた。
ここの所、いい加減少し疲れがみえてきたので
今日は、このまま家で休養を取る事にした。
明日は昼に小山氏のハーレムの教会でのLiveと
Blue Note NYにてマーカス・ミラーのLiveに出かける。
教会のLiveはBluesということで、「待ち」や「ため」を
十分に聞ける事であろう。
とかくリズムにカッチリとはめようとしがちな私だが
この所この技術を非常に身につけたいと思っていたので楽しみである。
また、マーカス・ミラーと話すことが出来れば良いのだが。。。

2003年05月07日

小山氏、Marcus、Dean

昼にハーレムに初めて行った。
小山氏のLiveがハーレムの教会で行われたのである。
黒人のBlues Jazzである。
最近は「ため」とか「待ち」を勉強していたので
非常に良い体験となった。
メンバーはAnnette St.John (vo)、Bernie Thompson (org)
Andrei Carriere(g)、小山太郎(Dr)である。
場所はハーレムの137th st.にある
Randoll Memorial Presbyterian Churchである。
思ったよりも距離があり、最初の曲の途中から聞いた。
やはりBluesが仕事の人たちなだけあって
興味深いTime感で演奏をしている。
しかも、リハなしのぶっつけである。
Orgが頻りにフェイントをかけまくり、小山さんも笑っていた。
スタンダードを織り交ぜた良いLiveであった。
終わってから小山氏にメンバーを紹介して頂き軽く話した。
残念ながらGuitarの方は、用事があるらしく
演奏が終わって間もなく帰ってしまった。
その後、小山さんが私をお茶に誘ってくれた。
素晴らしいチャンスに恵まれ、迷わずついていった。
車に乗る時に、小山さんが面白い話をしてくれた。
NYではDrumsのSetを普通に担いでSubwayで運ぶ人が多いらしい。
あんなでかいモノを良く運ぶなぁと感心していた。
下に、小山さんのセットの写真を掲載するので参考にして欲しい。
また、小山さんが今までで一番驚いたのは、アップライトピアノを
持ち歩いている大馬鹿者がいたらしい。
何ともへんな街である。
他にも、車に乗っている時に面白い話をしていた。
NYで彼の友人が地下鉄でパフォーマンスをしていた時の事。
ホームレスが彼の近くにやって来たらしい。
こちらのホームレスは必ずコップを持って、お金を求めるのである。
小山氏の友人は自分のチップは死守しなければと
演奏しながら身構えていた。
すると、ホームレスが1centを彼にチップとして入れてくれたらしい。
後日、彼はJazz Musicianはホームレスより下か・・・・と
嘆いていたらしい。
他にも、ホームレスがLive Houseの外で寄付を求めて立っている時に
彼が「I'm Jazz Musician」というと、ホームレスが一言。
「I'm Sorry」と言ったらしい。
これにも彼はショックを受けたらしい。
と言うわけで、私は今現在はホームレス以下のK.Ice氏である。
その後、MidTownの当たりまで小山氏の車で出て小山氏ご推薦のCafeに入った。
店内は非常に綺麗で、小山氏はここのジャムを良く購入するらしい。
席に着くと、色々な話を聞くことが出来た。
小山氏が前にインタビューの席でウエイン・ショーターと
マイケル・ブレッカー、ハービー・ハンコックと同席した時の話である。
最初にブレッカーが近年のJazzが行き詰まっているという話をした。
彼は言うには、Jazzは今まで様々な他のジャンルの音楽を吸収して
それを良い形で変形させてJazzとして出力していたと言う。
そして、今後はまだ取り入れていないジャンルの音楽を
吸収して出力しなければならないとの事であった。
その後、ウエイン・ショーターがそれと真っ向から対立する意見を言ったのである。
彼は内気で、相当な変わり者らしく、非常に面白いことを言った。
彼は音楽は自分が出すモノであって、自分の中には
そのFactoryがあるらしい。
彼は他にも体の中に街があって、ホスピタルなどがある。らしい。
そして、彼は宇宙人なのだという。
今現在、地球では宇宙と更新するすべはないが
彼はやっている。。。らしい。
小山氏の話によると、彼はSFオタクなのだという。
なんとも、既にオタクを超えている気もするが。。。
この会談には通訳がいるらしいのだが、このウェインの話が
盛り上がって行くに連れて、通訳が一言。
彼の話は哲学過ぎて、私にはどうにも通訳が上手く出来ません。
伝わらないかもしれませんが・・・・。と言った。
すると、そこにいたピーター・バラカン氏が通訳を買って出た。
彼は音楽番組に出演したりと、音楽の専門用語や
特殊な言い回しにも強いので、綺麗に訳してくれたらしい。
そして、ブレッカーの言った事に関しても
通訳よりも綺麗に訳してしまった。
通訳の面目丸つぶれである。
その後で、そんな重たい雰囲気の中ハービー・ハンコックが登場した。
彼は有名な八方美人で、そんな重たい雰囲気の中
「ハーイ、僕ハービーでーす。」という感じで
一気のその場の雰囲気を滅茶苦茶にしてしまったらしい。
また、そんな内気なウェインと、滅茶苦茶陽気なハービーが
一緒にアルバムを出して、しかも大の仲良しなのだから
面白い話である。
小山氏はハービーに一度逢ったことがあるらしく
ハービーに、前に逢ったことがある話を告げると彼は
「オー、君か、覚えているよ」と言ったらしい。
その時小山氏は心の中で「お前絶対覚えてねーだろ」と思ったらしい。
逆にウェインは僕はもうホテルに帰らないと、手帳を忘れちゃった。
などと、小山氏にわけの解らない事を言って去っていったらしい。
何とも喜劇的なお話であった。
ウェインの話で、もう一つ面白いモノがあり
とある記者が「アコースティックを演奏する時と
エレクトリックを演奏する時の違いは?」と聞いた時の話である。
彼は頻りに「エレクトリック・・・アコースティック・・・・
エレクトリック・・・アコースティック・・・・」
と言いながらトイレに行ってしまった。
そのまま30分以上待っても帰ってこない為
記者が店内をうろついていたところ、店員が一言
「お連れのお客様はお帰りになりましたよ。」
そう、本当はウェインの中では、特に違いは無かったらしいのだが
聞かれてしまったため、真面目に答えようとして考え込み
そのまま悩みながら、ホテルに帰ってしまったのである。
何という天然ボケだろう。
他にも、彼のソロが短い時は、自分の音に感動して
それ以上吹けない時なのだそうだ。
また、自分の楽器の調子がおかしいと、ジッと楽器を見つめて
握りこぶしで、コツンと楽器を叱るのである。
当然、そんな事で治るはずもないのだが、彼はそれで楽器と
会話をしているそうである。
他にも、普段はMCをほとんどしないウェインだが
日本公演の時に、誰かに喋れと言われたらしく
ます最初に「こんにちわ。」と言った。
その後で、1分間の間が空いた後に、客席を指さしてにやけがら一言。
「ニッポンジン。エヘヘヘヘ」
これにはさすがに会場は引いてしまった。
彼はこの言葉を言って、次の瞬間にはプレイに入っていたらしい。
これはウェインの動作を見るためだけでも彼のLiveに行く価値はありそうである。
なんとも面白い話を聞かせて頂いた。
その後で、今度は小山氏の行きつけの46st.にある
PercussionやDrumsの行きつけのお店に行った。
とあるビルの中にあり、看板などは全くない。
しかも、下で入る時にガードマンの所で名前と行き先を書かなければならない。
これは、本当に知らないと入れない。
と言うよりも存在自体が解らない。
なんとも不思議な店である。
店内に入ってみるともの凄い量のPercussionの数々である。
Drumsのアクセサリーなども豊富である。
そこで、私は日本にいる時から探していた優しい音のするシェイカーを見つけた。
2つで$12である。即買いして、日本に持って帰ることにした。
とかくシェイカーを使うと五月蠅くなりがちだが
このシェイカーならいくら振っても優しくBANDに馴染むはずである。
その後で、小山氏に楽器屋を幾つか案内して頂いた。
非常に興味深いものばかりで、面白い横笛を見つけた。
これは使えると思い、家で確認して、Liveでの用途を決めてから
購入する予定である。何種類もあるので決めがたかったのである。
他にも、譜面やマイクを沢山売っているお店もあり
近いうちに必ずこなければならないと思った。
楽器屋を見て、しばらくして小山氏と別れた。
次回は金曜日のレコーディングにお邪魔してお会いする予定である。
小山氏と別れて、Blue Note NYに移動する。
Blue Noteに着くと、一人の青年が既に並んでいた。
私はその次。前回と同じく二番目であった。
暇つぶしに彼と話していると、彼はバークリーに行っていて
マーカスが大好きな為、ボストンからバスでわざわざ来たらしい。
Bassを持っていたので、見せて貰うと、見事にフェンダーの
JazzBassのマーカス・ミラーモデルである。
彼と話している間に、開場時間となり中に入る。
今回は、前回一番前で首が疲れた為、ちょっとだけ後ろに座る。
それでも演奏者との距離は目の前である。
そしていよいよLiveが始まった。
Liveが始まってみると、今までのマーカス・ミラーのイメージが崩された。
とかく前に出て、パワフルなプレイをする人だと思っていたが
全然そんな事はないのである。
確かにソロは多いし、前には出てくる。
しかし力強さの中に、非常に静かな面があり
全く五月蠅くないのである。
日本でマーカス・ミラーが大好きなベーシストの演奏を聴くと
パワフルだが少々五月蠅い気がする。
しかし、本物は決して五月蠅くなく、Bass本来の仕事もきっちりこなしていた。
これには本当に驚いた。
こんなプレイがあるのかと感嘆してしまった。
また、ディーンも非常にセンスが良く
特に彼のボトルネックのプレイは本当に素晴らしいものだった。
と、ここまでなら私は感動して泣くことはまずない。
しかし、このLiveではNYに来てから二度目の感動におそわれた。
理由は、マーカス・ミラーのステージングの上手さである。
本当に素晴らしい選曲とアレンジメントである。
一つのLiveを大きな目で見て、人々がどうやったら感動するのか
その術を知り尽くしているかのようであった。
まるで彼の思うがままに心が動かされていった。
最後の曲がまた最高だった。
その時は彼は最初バスクラリネットをプレイしていた。
普通、メインの楽器じゃないものをプレイしてもあまり感動しないのだが
彼の場合はその前後のつなぎや、選曲の上手さで
見事に自分の弱点を補い、かつメインの楽器以上の面白さを出していた。
本当に感動したと共に勉強になるLiveであった。
そして、Liveが終わって上の階で、彼等を待つ。
するとマーカス・ミラーが上がってきた。
チャンスと思い、一番乗りで話をして、写真を撮った。
その後でディーンも楽屋から出てきたので一番乗りで話して写真を撮った。
とにかく素晴らしい一日だった。
今日は何も言うことは無い。
Bestな一日である。

2003年05月08日

ブロンクス

ブロンクスの街に初めて出てみた。
NYといっても、基本的には中央の島がマンハッタン
その周りをブロンクス、クイーンズ、ブルックリンが
囲むようになっている。
そして、私が滞在しているのはブロンクスである。
犯罪率は一番高い地域で、今もあまり観光客は来ないし
ほとんどがBlackの人たちが住んでいる。
最初は非常に警戒しながら歩いていたが、最近はそうでもない。
やっと町並みにも慣れて、やはり警戒はしているが
普通に歩ける度胸がついてきた。
小山氏が住んでいるブルックリンやMOMAのあるクイーンズは
さほどマンハッタンと変わらぬ危険度らしい。
このため、ブロンクスの街には未だ出歩くことが無かった。
Gaku氏が休みだった為、一緒に大きな通りのフォーダムロードに出た。
滞在しているところから歩いて30分くらいである。
SubwayやBusを使えばすぐなのだが、こちらにいると
あまり意識をしないでも十分に歩く習慣がついているので
そこまで遠い距離に感じない。慣れとは面白いものである。
街に着くとマンハッタンとはまた違った賑わいを見せていた。
やはりこの近辺もBlackの人がほとんどで、たまにSpain系の人も
見かけることが出来る。
お店も売っている品物もイエローモンキーな私には派手すぎるものが多い。
ただ、マンハッタンよりも物価は大分安いのである。
そのかわり、有名ブランドなどの店は無い。
途中で植木屋を見たのだが、日本では渋谷のハンズの様な
大きな所に行かないと無い植物が、小さなお店に平気で並んでいる。
Gaku氏が植物を購入するか迷っていたので理由を聞いたところ
この近辺のお店は配達してくれないそうなのである。
さすがに冷蔵庫などの電化製品は配達してくれるが
植物程度では配達してくれない。
車で来て自分で運ぶか、タクシーに無理矢理乗せるか
SubwayやBusで強引に運ぶかしかないらしい。
何ともダイナミックな事である。
マンハッタンに限らず、その周辺の地域には公園が非常に多い。
犯罪の場所にもなる場合があるが、それはどこも同じである。
また、その公園が結構大きい。
人が良く集まって話したり遊んだりしている風景を良く見かける。
ここまで土地が広いと、余裕も出てくるのだろう。
明日は小山氏のレコーディングにお邪魔する事になっている。
非常に楽しみである。

2003年05月09日

大失態

とんでもない失敗をしてしまった。
小山氏のレコーディングの場所を書き写し間違えたのである。
1時から7時までのレコーディングの為、真ん中の時間を狙って行った。
早すぎると、まだ調子が出ていないかもしれないし
遅すぎると、もう終わりそうな雰囲気かもしれない。
なので3時30分くらいを狙って行くことにした。
MidTownで差し入れを購入してから、GreenStに向かう。
思いの外迷ってしまい、急いだがGreenStについたのは3時50分だった。
別に時間の約束をしたわけではなく、中盤にお邪魔しますと
E-mailを送っていたので、さほどそこまでは問題なかった。
そしてGreenStまでついて、約束のスタジオを探し始める。
ここで間違いがあったのである。
私の紙には120番と書いてあった。
しかし、本来は102番なのである。
しかもスタジオの名前を書き忘れている為、全く解らなくなった。
自分の紙の120番には全然見当違いの建物が建っており
どうにもならなくなってしまった。
これはまずい。。。
仕方がないので、GreenStの通りを一番端から
Studioと書いてある所を徹底的に訪問した。
もうこうなったらあたって砕けるしかない。
そうやって約15Km位行ったり来たりしたが見つからない。
途中で一応小山氏の携帯に連絡は入れたのだが
レコーディング中の彼が携帯など取るわけもなく
そのまま7時になってしまった。
一度帰るという選択肢が無いわけではなかった。
しかしながら、このGreenStからブロンクスまでは
往復で約3時間弱なので戻ってきた時には
レコーディングは終わっている事になる。
これでは意味がない。
なので私はGreenStで探しながら連絡を取り続けた。
しかし、ダメだったのである。
7時過ぎてから、もしかしたら時間が押しているかもしれないと
もう一度小山氏に電話をかけた。
ついに呼び出し音が鳴り、電話がつながった。
話してみると、やはりレコーディングは終わっていた。
どうやら時間は巻いていたようだ。
お詫びをして、わけを話すと彼はこういった。
「それは気の毒だったねぇ。大変だったでしょ。」
涙が出そうなほど優しい方である。
なんとも彼の好意を不注意から裏切ってしまい、本当に悔やまれる。
太郎さん。すいませんでした。
なんともお粗末なお話であった。
そろそろNYに慣れてきて、リラックスから疲れが一気に出ている。
そのため、注意散漫になっていると思われる。
今更ながら、気を引き締めて残りの滞在時間を過ごすことにする。
というわけで、皆さん。
NYのSOHOにあるGreenStとその周辺の事に関しては
今現在私より詳しい日本人はそういないので
なんでも質問して頂きたい。
なんといっても、あの通りを5往復は軽く歩いているのだから。。。
明日はついにMOMAに行く。
今、マティスとピカソの特集をやっている。
非常に楽しみである。

2003年05月10日

またまた。。。

大したことではないが、失敗した。
というより、今回は不可抗力である。
予定通りMOMAに訪れた私は、チケットを買おうと係員に話しかけた。
すると、今日の分は既にSold Outだという。
時間はまだ13時である。
なんじゃそりゃ。。。
5月19日まで、ピカソとマティスの特集をやっている為か
入り口には長蛇の列が出来ていた。
しかし長蛇といっても100人もいない程度である。
美術館に入場制限があるなんて今まで聞いたことがない。
ましてや、手にした地球の歩き方にもそんな事は書かれていない。
何とも残念だが、インターネットか何かでチケットをゲットしてから
もう一度来ることにした。
まぁ、これでMOMAに行けなくなったわけではないので
特に問題はない。
転んでもただでは起きない私は、その足で楽器屋に向かった。
というのも、まだ一度も入ったことがない楽器屋が一つだけあるのである。
この時間ならば開いているだろうと考え、そこに向かう。
案の定開いている。
早速はいると、今までで一番興味深いお店であった。
入り口を入って見ると、また何とも言えない古い感じがたまらない。
しばらく見ていると、素晴らしいモノを目にした。
ストレートアルトとストレートテナーである。
そう。ジョー・ロバーノが持っているあれである。
これは是非次回もう一度きて吹くしかない。
その近くにこの間の小山氏と行ったお店にも置いてあった
横笛があった。
名前を聞いてみると、これがバンブーフルートというものらしい。
実際に見るのはこのNYが初めてであった。
値段を見てみると、この間の店よりも安い。
これはと思い、早速試してみる。
音はほとんど変わらない。それに、こちらの方が種類が多い。
私はGuitarと良く合わせる事が多いのでEのKeyの楽器を探す。
ブルースハープと同じでKeyによって吹き分けるのである。
Eの楽器が幾つか合ったのだが
全部吹いてその中で一番良いモノを選んだ。
ついに購入である。
そのまま、色々お店を見てから家に帰る。
早速吹いてみると素晴らしい。
吹き方によっては日本の尺八の様な音がする。
どうにかしてLiveで使いたいものである。
明日はメトロポリタン美術館に足を運ぶ。
あそこは入場制限がない事が解っているので安心である。

2003年05月11日

メトロポリタン美術館

NYに来て、やっと美術系の芸術に触れる機会を得た。
昨日のMOMAには失敗したが、今回は大丈夫であった。
メトロポリタン美術館はいわゆる寄付のみで入ることが出来る。
つまり、いくら払っても良いのである。
その人の考え方次第である。
今回の旅も終盤を迎え、当然のごとく貧乏になりつつある私は
$1を払って入館した。
といっても、周りも多くて$5くらいしか払っていなかった。
まぁ、チップのような感覚なのかも知れない。
入館する前に、まず外観である。
とにかく大きい。
子供のような感想だが、本当に大きいのである。
そして、入り口の堂々たる雰囲気に圧倒された。
既にこの建物自体が、十分に美術品といえるだろう。
力強い建物である。
とくに、私は柱が好きである。
建物の力強さはこの柱の力が大きいと思われる。
中に入ってみると、また素晴らしく高い天井だった。
人目も気にせずパンと手を鳴らしてみると何とも言えない響きである。
ここで楽器を演奏したら、どんなに良い響きが得られるだろうか。
PianoとSaxのDuoでアコースティックなLiveなんかやった日には
本当に気持ちの良い事だろう。
天井も丸みを帯びた作りで、日が射して良く計算された作りである。
中に入って荷物チェックを受けると、私のバックパックは
クロークの様なところに預けなければならなくなった。
カメラだけを取り出し預ける。
その後、先程の様に$1払って入館バッヂをもらう。
この入館のバッヂは小さくて可愛いものである。
しかも持って帰っても何も言われない。
バッヂを見て、明らかに$1以上の経費がかかっていそうなので
少々悪い気もしたが、どこかのお金持ちが莫大な寄付をしていることを
勝手に想像して良しとしてしまった。
いよいよ本格的に中に入って見て回る。
本来は一日で見れるものではないらしい。
その為、私は見たいと思ったものだけを見ることにした。
私は美術品に関しては音楽ほどの知識はない。
だからこそ、直感で美術というモノに触れてみたかった。
嬉しいことに、このメトロポリタン美術館では
美術品のサイドに小さく著作者などの情報が書いてあるので
特に見ようとしなければ解らない。
まず、最初に行ったのはアフリカのエリアである。
私はアフリカという地域が好きである。
確かに気候や土地柄は厳しい条件ではあるが
非常にエキサイティングな音楽やリズムがあるからである。
美術品と言うよりも博物館という感じのエリアであった。
一目見るだけで、それが何なのか解らなくても
何かゾワっと来るものがある。
これが生の醍醐味である。
音楽と同様だと思うが、私は美術というものを
本当に掘り下げてやったことがない。
つまり、素人とさほど変わらないのである。
それでもやはりTVなどで見たモノと
本物とでは天と地との差があるのである。
音楽で痛いほど解っているため、解ったのかもしれない。
やはりエンターテイメントは生に限る。
例え動かないものといっても、迫力が全然違う。
それを作り上げる時のタッチや質感が伝わるのである。
音楽と美術とどちらが好きかと言えば、即答で音楽である。
その為、美術に関しては迫力が無ければ見る気にはなれない。
おそらく本当に好きな美術家に出会わない限り
画集や、そういった意味でのイミテーションのモノには手を出さないだろう。
それが、今回の体験で本当に実感できた。
この美術館を見て回って、面白い事に気付いた。
有名な美術品で、私が好きなモノは少なくともこの美術館には全くない。
確かにその当時は斬新で、今でも素晴らしいモノは多い。
しかし、その時に斬新でも今ならどうだろう。
私は現代音楽のような、解る人にしか解らないような雰囲気を感じた。
おそらく私が出会いたい作品はそういったモノではなく
本当に深みがあり、人の心を形はどうあれ強烈に揺さぶる作品なのである。
メトロポリタン美術館は最後の方を早足でザッとある程度見たが
非常に偏った品揃えのような気がする。
その為、私の好きな絵はほとんど無かった。
それと、これだけの多くの美術品を見ていて
嫌なことに気がついてしまった。
これは人の考え方によるのだが、私は負の感情を作品に表現するのが
あまり好きではない。
表現する形にもよるが、特に気持ちのはけ口を芸術に向ける事が
好きではないのである。
見ているこちらまでその負の感情に乗っ取られてしまうようで嫌なのである。
負の感情を表現するのは凄く難しい。
ちょっとでも変な方向に向いてしまえば
それはある意味で下品な作品になってしまう。
人々はそう感じないかもしれないが、私はこの事に敏感らしい。
これはおそらく大きな偏見だと思うが
昔の芸術家にはそういう人が多い気がする。
また、今現在も美術家にも少々その気があるような気がする。
というのも、昔は今ほど豊かな時代では決してないし
理不尽な事や、自分一人ではどうにも出来ない事も沢山あったと思う。
その中で必死で生きてきて、それを何かに残そうという姿勢は
素晴らしいモノだと思う。
それは、芸術というモノに対する考え方自体が
今とは違う為で、仕方の無いことだと考えられる。
また、特に美術関係に関しては近年に至っても
非常に成功するのが難しい気がする。
その為、どうしても少々負の感情が多くなってしまうのもうなずける。
それに、こと芸術に関してはそういう悲しい美談が多いため
ついついそういう方向に考え方が傾いてしまう傾向もあるだろう。
私はこういう事に関しては決して否定はしない。
むしろ、そういう考え方もあるのだから、その方が面白い。
ただ、私はとにかく心を揺さぶられる様な美術品に出会いたい。
その為には私自身の定規で美術品を見なければならない気がする。
その作品の背景とか、そういうモノではなく
その作品から出ているオーラに同感出来なければならない。
随分難しい方向に話が進んでしまったが
要するに、気に入ったモノがほとんど無かったのである。
あえて一人挙げるなら、Alfred Sisleyというイギリスの画家で
「A Road in Moret in Winter」という作品の色使いが
とても良かった気がする。
また、絵自体もセンスの良い雰囲気があって良かった。
とりあえず美術品はこのくらいである。
最後に楽器のエリアがあったので見て回った。
このエリアもアフリカのエリアと同じで美術館と言うよりも博物館であった。
そこでSaxの創設者であるアドルフ・サックスが作った
Soprano Saxを見つけた。
今のモノとは形は少し違うが、歴史のある良い雰囲気のSaxだった。
実際に音を聞いてみたいが、そうもいかず諦めて写真を撮って帰ってきた。
フラッシュが禁止なので自分を入れて取ることは難しく
その単体だけを撮影してきた。
Saxの他にも打楽器やPianoの古い楽器が置いてあり
本当に面白いエリアであった。
大きなパイプオルガンなどもあり、良い雰囲気であった。
そんなこんなで時間は過ぎて、帰る時間となった。
家に着いてMOMAのチケットを取ろうとしてみると
なんと全て売り切れである。
こんなに人気だったとは知らなかった。
努力はしてみるがおそらく無理だろう。残念である。
夜は夜でGaku氏の友人のドミニカの人々が遊びに来た。
彼等はドミニカ料理を大皿で持ってきて振る舞ってくれた。
なんとも豪快で気持ちの良い料理であった。
ミシェル・カミロやゴンサロ・ルバロカバなども
こういう料理を食べて育ったのであろう。
いわゆるプチ感動であった。
彼等は皆、スペイン語を喋る。
さすがにさっぱり解らず、Gaku氏の通訳にて話をした。
気性も豪快で気持ちの良い人々だった。
いつかドミニカにも行ってみたいものである。
明日は街に出て、色々見て回る予定である

2003年05月12日

マフィア

マフィアの経営するイタリア料理店に行ってしまった。
Gaku氏のお薦めのお店で、ブロンクスにある。
私の目から見ても明らかに一般の人じゃない。
しかしながら、異常なまでの繁盛ぶりである。
一階が食堂で二階がバーである。
順番待ちの為、二階のバーで待つことになった。
待ちに待って2時間後にやっと入ることが出来た。
料理も確かに良いものなのだが、とにかく雰囲気が恐い。
店の雰囲気ではなく、店員の雰囲気である。
こちらの店員は結構雑に皿を置いてゆく。
しかし、雑は雑でも何か違う種類の雑さである。
とりあえず食事を終わらせて家路につく。
実はあまり体調が良くなく、一日休む事にしたのである。
家に帰るとやっと体調も良くなり、落ち着いたので
明日のAlecのレッスンの準備をして寝ることにした。
明日はAlecのレッスンと、スティービー・ワンダーの
トリビュートLiveを聞きに行く予定である。

2003年05月13日

レッスン&スティービートリビュート

Alecの最後のレッスンが終わった。
今回はコード進行の解釈に関してのレクチャーを受けた。
ついつい表面的な目でコードを見がちだが
それを突き詰めてまた違った方から見ると
自分に合った解釈を出来るという事である。
そういう事に関しての考え方や理論を教わった。
他にも、微妙なコード進行でアドリブを取る時の
効率の良い練習法まで教えてくれた。
勿論、自分で知っている事もあるが
彼の教えてくれることは今までに無い練習方法ばかりで
非常に興味深いものであった。
この三回のレッスンを通してコードに沿った
いわゆる"inside"の演奏方法とその逆の"outside"の練習方法の
二通りを教わり、非常に演奏の幅が今後広がることが予想される。
当然ながら、この短い期間でしかも練習もあまり出来ない環境なので
現時点で私がそこまで変化したかというと、それはNOである。
ただ、日本に帰ってからの練習が今から待ち遠しい程に
やることが山ほど有る。
また、レッスンを終えてからも色々な情報を提供してくれた。
なんと、Saxで福音、つまり和音を出す技法の本まで教えてくれた。
早速明日にでも購入しに行くことにする。

Alecのレッスンが終わった後は、いよいよ待ちに待った
スティービー・ワンダーのトリビュートLiveである。
Live HouseはTOTOと同じBB King Blues Clubである。
音も前回のTOTOの時に非常に良かったので
もし席が悪くてもあまり心配いらない所が嬉しい。
行ってみると、結構人が既に入っている。
見るなら正面の方が良いと思い、多少後ろながら正面の席にした。
待っているといよいよLiveが始まった。
最初から名曲の数々で勢いよくLiveが展開してゆく。
しかし、、、演奏が良くない!!!
確かに上手なのだが、それだけである。
一人一人の個々の演奏能力は高いのだが
全くアンサンブルになってない。
DrumsとBassもバラバラで、コーラスもフラットしていて
ブラス関係もPower感が全くない。
名曲の数々をアレンジして面白くして来るのかと思ったら
そのままのコピーBANDである。
私としては聞いていて面白くも何ともない。
何とも残念なことである。
特にこのLive Houseでは一回目のTOTOで感涙しているためなのか
耳が厳しくなっている事もある。
しかしながら、このLiveは酷い。
よくこのLive Houseが出演をOKしたものである。
客の入りもそこまで良くないし
途中で結構帰る人もいた。
中にはお気に入りの曲が沢山流れているので
ご機嫌な人もいるが、TOTOのLiveとは明らかにグレードが下がる。
とにかく料金の分は楽しもうとしっかり聞いたのだが
やはり良くない。
まぁ、こういう事もあるとは解っていたが
大好きなスティービー・ワンダーでこれをやられると
さすがに少々腹が立った。
次回のジョン・スコフィールドもこのLive Houseだが
彼ならこんな事はないと思うので期待したい。

2003年05月14日

Mike Mic・・・

コンセントが壊れた。
私のいる部屋ではなく、Gaku氏の部屋の結構重要な場所である。
その事でGaku氏が管理人に直すように言ったらしい。
英語で管理人は「superintendent」となる。
長ったらしいので彼はSuperより先を省略しているらしい。
家のチャイムが鳴り、出てみると訳のわからんオッサンが
ニコニコしながら「ハーイ」というではないか。
とりあえず出てみるともの凄いスペインなまりの英語でベラベラ喋られた。
ただでさえ英語の聞き取りに苦労しているのに解るはずもなく
道具を沢山持っているのでAre You Mike?と聞くと
Yes! I'm Mike! I'm Super Mike!!と堂々と名乗った。
その瞬間私はこらえきれずに、咳をするふりをして吹き出した。
というのも前々からこのスーパーマイクというのが可笑しすぎるのである。
どうしてもキノコを食べると大きくなったり
チューリップまがいの花を食べると炎を出したりするイメージがある。
しかも自分でスーパーマイクって言ってる、、、などと思ってしまったため
限界に達した。
妙に愛想の良い私を気にしながら彼はコンセントを直しに言った。
私としては可笑しいのと本物に逢えたという二つの感情で
ある意味で舞い上がっていたのだろう。
今まで彼の名前は張り紙で知っていたがそれだけだった。
マーカス・ミラーに逢った時のような感動であった。

修理が終わって街に出た。
小山さんに紹介して頂いた楽器屋を中心にガンガン回る。
時間的には十分あるので今回は全部の楽器屋を見ることが出来る。
まず最初にAlecに紹介して貰った本を全て購入した。
その後でアメリカにあったと言うSax用のコンタクトマイクを探す。
色々回って、その中の一つでついに見つけた。
とあるメーカーのダイナミックマイクである。
私は既にマイクは持っているのだが、ある特殊な使い方をしたいが為に
このマイクを探していたのである。
私の知る限り、日本でこのマイクを購入する事は出来ない。
というのもおそらく購入は出来るかも知れないが
その製品をチェックしてから購入は出来ない。
つまり一か八かの賭になる。
早速ブースでトライさせて貰った。
非常に面白い構造になっており、Saxのベルの中に取り付ける。
しかも両面テープで・・・。
マイクの構造は非常にシンプルというか安っちいというかだが
私の求める使い方にはあっている。
ダイナミックマイクなのだが、途中にボックスがついていて
EQを多少変更出来るのと、ボリュームもある程度調節可能である。
電池を使用しないので取り扱いも簡単で良い。
チェックして非常に多くの可能性を見いだすことが出来たので購入決定である。
後は、日本に帰ってから試行錯誤するだけである。
また楽しみが増えた。
明日はジョン・スコフィールドを見に行く予定である。

2003年05月15日

ジョン・スコフィールド

BB King Blues Clubでの最後のLiveを見に行った。
前回のスティービー・ワンダーのトリビュートのような
Liveでは無いことを祈りつつ、今回は一時間以上前に
Live Houseに入った。
中にはいると今までとは全く違ったセッティングになっており
ステージ前には何もない。
ダンサーでも入れるのかと思いながら
とりあえず少し遠目だが真正面のPA席のすぐ横に席を取った。
軽く食事を取りながら待っていると
どうも客層が変である。
明らかに男が多い。
中には高校生くらいの客もいる。
日本でもそうなのだが、GuitaristのFanは何故男が多いのか・・・
Liveが終わってもGuitarの所には大体男が集まり
やれ上手いだの、セッティングがどうだこうだと
誉めながらも何か良い情報を聞き出そうとする輩が多い。
やはりGuitarとなると非常にプレイヤーが多いため
オリジナリティーを出すのに皆一生懸命なのだろう。
ホントに女っ気が無い。
マイク・スターンの時もそうだった。
始まる前から皆ステージの前まで行ってセッティングをチェックして
写真を撮ったりしている。
そんな異様な雰囲気の中Liveが始まった。
私はジョン・スコフィールドの事に関してはあまり知らない。
最初はDJ,Sax,Bass,Drumsという構成で始まった。
曲の途中から登場するか、二曲目,三曲目から出てくるのかと思いきや
いっこうにGuitarが出てくる気配がない。
待ち続けること一時間。
ついにLiveが終わってしまった。
最後のMCを聞いていると、どうやら前座のBANDだったようだ。
後でGaku氏に聞いてみると、こちらではたまにあることらしい。
そうとは知らず、真剣に聞き入ってしまった。
確かにスティービー・ワンダーの時よりは良いのだが
やはり華がない。
少々物足りないと思っていたが、当然である。
セッティングをチェンジするために30分くらい時間を空けて
いよいよジョン・スコフィールドの登場である。
やはり全然違う。
これが本物の華のあるアーティストという感じで
堂々たる風格と、何か期待させるような雰囲気が漂っている。
曲が始まると、人々がステージの前に集まった。
ここで初めてこのLiveがスタンディングだという事を知った。
こんな事なら最初から前で陣取っていたモノを・・・。
しかしながら、私の席は音が良い。
その上、こちらの人々は背が高いので本当に一番前で見上げないと
彼等を間近で見ることは出来ない。
まぁ、結果オーライということになる。
曲は思いっきりClubをイメージさせるアレンジで
Macintoshのラップトップを使って、Drumsと見事に同期させている。
その上非常にセンスの良いサウンドで心地よい。
個人的にはジョン・スコフィールドの音はあまり好きではないが
彼のチャレンジしようとしていることやアイデアは
本当に素晴らしいものだった。
あの歳でこんな事が出来るとは、全く持って尊敬する。
本当に次から次へと面白いアイデアを繰り出して来る。
アレンジも本当に緻密に計算され尽くした洗練さがあり
非常に勉強になった。
このLiveも日本に帰ってからの自分のLiveの一案に
大きく影響を及ぼすLiveであった。
しかし、、、長い。
Live Houseに入ってから出てくるまでの時間はおよそ5時間。
さすがに座り疲れた。
次回は前座のないLiveを期待したい。
その方が、より集中力も高まり聞き入ることが出来るはずである。
明日は最後のOffの日なので、街をぶらぶらと歩いて見る予定である。

2003年05月16日

最後の散策

NYの風景を目に焼き付けてきた。
明日は昼間は荷造りで忙しいため
しっかりと街を見られるのは今日が最後である。
音楽関係に関わらず、洋服やアクセサリー
スーパーやコンビニ、雑貨屋、ギャラリーなど
とにかく店が開いている所はなるべく入るようにして歩きに歩いた。
よくよく観察してみるとNYは結構汚い。
ゴミなどがそこら中に落ちていて、得体の知れないモノも結構ある。
しかし、それでも汚らしく見えない。
理由としては広さである。
歩道も車道も本当に広い。
だからこそ汚く見えないのである。
狭いところに沢山のモノがあればゴミゴミしてる様に見えるが
広ければ同じ量でもそこまで悪印象はないのである。
もしこの街にゴミが無かったとしたらもの凄く芸術的な街になる。
それほど街全体の建物の雰囲気などが計算されて作られているのである。
また、人間も非常に多種多様である。
一口にBlackの人々もこんなに一人一人違うモノかと実感した。
それはWhiteにもYellowにも言えることである。
色や目、髪、本当に微妙に違う。
違うのは当たり前だが、思ったより違いがある。
言葉も、同じアメリカ人でも全然発音が違って面白い。
公園に座って眺めていても、街を歩きながら眺めていても
本当に飽きない。
明後日にここを出発するのが悲しくもあり、嬉しくもある。

明日の夜に予定が入っているので、今日がGaku氏との最後の晩餐となった。
彼の友人のBabu氏が働いているインド料理店に行くことになった。
そこには、今日までにお会いした方々も来ていた。
どうも三井系列の会社の方々とご縁があるようだ。
その中の一人は6月に日本に帰ってくると言うことで
早速Liveの情報をお送りする予定である。
で、料理だが、、、、、辛い。
美味しいし、食べられない訳ではないのだが、、、辛い。
帰ってきてもずっと何となく胃が熱い。
ホントにインドに行ったらさぞかし苦労するのだろう。

明日はいよいよ最後のLiveである。
日本でも良く聞くSoulive。楽しみである。

2003年05月17日

Soulive

ラストのLiveに行ってきた。
Souliveというグループで、日本でも既に大分売れているBANDである。
場所はIrving PlazaというClubである。
チケットを買いに来たことはあるが
実際に中に入ったのは初めてである。
中に入ってみると席が何もない。
どうやら今日はスタンディングのLiveのようだ。
19時に並んで20時に中に入り、21時になってやっとLiveが始まった。
メンバーを見ると、Souliveではない。
どうやら女性のシンガーらしい。
しかしどこかで見たような・・・。
するとMCが入り、ミシェル・ンデゲオチェロだというではないか。
ジョン・スコフィールドの様に、どこぞの前座BANDかと思いきや
それだけで十分に満足のいくアーティストが出てきて驚いた。
曲が始まってしばらくはこのBANDのグルーブを掴むことが難しかった。
というのも揺れる揺れる。。。
テンポはあっているが、もの凄いタイムである。
Bassはもとより、Drumsまでトリッキーなフェイントをかけてくる。
しかも、それをBANDは最初から知っているようで一寸の狂いもない。
グルーブが解って来ても、少し気を抜くとロストしてしまうような演奏である。
ふと客側を見ると、、、、誰も乗れてない。
それもそうだろう。私でさえこんなに苦労してるのだから。
客は乗ろうと努力はしているのだが、すぐにロストしてしまう感じだった。
これがまた客を見てると面白い面白い。
初心者のDrumsを見ているような感じで反応が面白い。
一生懸命に何か掴もうとしているのだが、上手くいかない。
そうこうしているうちに、Liveが終わった。
その後ステージ転換の為に20分ほど休憩となった。
しかしながらミシェル・ンデゲオチェロが聞けるとは
なんともラッキーな最終日である。
そしてついにSouliveの登場である。
やはりステージが彼等専用に最初からセットアップされているため
こちらの方が音が俄然良い。
CDとは比べモノにならない迫力でガンガン演奏していく。
メンバーはOrg、Gt、Drの三人である。
元々、三人なのでスペースが使い放題である。
その為、三人が三人とも好きなところで遊びまくっている。
それでも、落とすところは落としているので緩急はしっかりしている。
これまた非常に勉強になる事ばかりである。
有り難い。
彼等もジョン・スコフィールドと同じく曲調が非常に似ている。
それでも飽きさせないのは、彼等のプレイから来るモノだろう。
おそらくCDであれば、こんなに長くは聞けない。
生の迫力に魅了されてしまった。
しかしながらこのLiveは長かった。2時間たっぷりやってくれた。
Live Houseを出たのは1時近かった。
Live Houseと言えば、このLive Houseは音が良くない。
NYでワースト一位である。
というのも低音がモワモワして音像がはっきりしない。
Clubという箱の性質から考えると許容範囲内かもしれないが
DJがレコードを流しているのではなく、生の演奏をしているので
音像がしっかりしていないと、どうしても迫力が出し切れない。
Blue Note NYの様なところで彼等の演奏を聴いたらもっと良いものだと思う。
とにかく最後のLiveが終わった。
帰りは少々遅かったがSubwayで帰った。
それでも2時前くらいならば、最近はSubwayも人が結構乗っている。
昔は本当に危なかったらしいが、有り難いことである。
日本も早く24時間で電車を動かしてもらいたいものである。

明日はいよいよ出発の日である。
出る前にDiaryを書いて行くことにしている。
というのも帰るのが明後日の夜になるからである。
行きと違って、帰りはこちらをNY時間の18日の昼に出ると
日本に着くのは日本時間の19日の夕方だからである。

2003年05月18日

出発の朝

いよいよもうすぐ出発である。
荷造りも終わり、後は帰るだけである。
Gaku氏が最後のプレゼントにと、彼のホテルで朝食を御馳走してくれる。
本当にお世話になってしまった。
体を壊さぬよう、仕事に励んで欲しい。
今から彼のホテルに行き、その周辺で軽く時間を潰してから
タクシーにてJFK空港に向かう。
非常に短い一ヶ月であった。
帰ってからやることが沢山あり、本当に色々吸収できたと思う。
昨日からほとんど寝ていないので、飛行機の中では
さすがの私も眠ることが出来るだろう。
電車、車、バス、船、どんな乗り物でも眠ることが出来るのに
飛行機だけは眠れない。
別に高所恐怖症とか、そういうモノではなくて
眠れないのである。
エコノミーにしか乗ったことがないが
飛行機の座席のあの空間は本当に嫌なモノである。
このPowerBookG3に頼って、時間を潰させてもらう。
では、日本時間の明日の夜にまた書くことにする。

2003年05月19日

帰国

やっと家について、とりあえず軽く荷ほどきを終えた。
本当に長い一日というか二日間であった。
行きの飛行機は良いのだが、帰りは時間の感覚が少し狂う。
前日の続きだが、あの後でGaku氏のホテルに行き朝食を取った。
たまたま、インド料理屋のBabu氏が働いている日で
彼が私達に色々やってくれた。
しかしながら、彼は非常に面白い。
いつもちょっと「デヘ」というような満面の笑顔で話しかけてくれる。
そして、もの凄い量の食事を運んできた。
おそらく3人から4人でも足りるくらいの量である。
後でGaku氏に聞いたら、もの凄く張り切ってしまっていたらしい。
ただ、あの量はちょっと・・・。
そして出発の時間になり、ホテルのお土産と共に
Gaku氏がタクシーを手配してくれた。
ここから空港までは1時間弱で着く。
最後の最後までお世話になった。
彼なしでは今回の旅は成り立たなかった。
空港に着いて、チェックインした。
日本では引っかからなかったベルトのバックルが
こちらの機械では引っかかってしまい、少々手間取ったが
それ以外は全く問題なくスルスルとチェックが終わった。
そして飛行機である。
長い・・・・・・。長すぎる。
しかしながら、ほとんど寝なかった為
3時間くらい眠ってから、PowerBookを使い倒して時間を潰す。
長いことは長いのだが、何となく慣れてきそうな自分が面白い。
そしてついに日本についた。
飛行機を降りてゲートを出る。
荷物検査は全くなかった。
そして車を取って帰宅する。
こちらに帰ってきて解ったことが一つ。
明らかに空気が湿っている。
天候が悪かった為ではなく、空気が何となく違う。
NY行った時はそれほど思わなかったが
こちらに帰ってくると解るのである。
言い方を変えると空気が重たい。
これがNYと日本の楽器の響きの違いになるのであろう。
面白いことである。
今日でこのNYレポートは終了となる。
明日からはNYの余韻を織り交ぜながら普通のDiaryとなる。
これまでと変わらぬご贔屓をお願いしたい。

2003年05月20日

消化

NYにて吸収したことを消化しなければならない。
とにかくもの凄いスピードで吸収してしまったので
それをスピーディーに消化しないと
せっかく吸収したモノも無駄になりかねないのである。
未だ荷ほどきが終わらないが、消化して疲れては
身の回りを整理して、またやり始めるという感じである。
それにゆっくりしてしまうと、疲れから体調を壊しかねないので
なるべく休まないようにして常に動いている。
皆さんは時差や疲れの対策はどのようにしているのだろうか。
知っていたらBBSにでも書き込みが欲しいところである。

2003年05月21日

仕事開始

講師の仕事が始まった。
我ながら良い感じで予定を決めたものである。
さすがに、帰国当日と次の日は身が入らないのでNGであるが
それ以上休むと、今度は体調を悪くしたり、だらけたりしてしまう。
4週間も離れていると素晴らしい上達が見られ、非常に面白い。
こんな事なら、また時間を空けたくなるが、そうも行かない。

余談であるが、TVやラジオや有線でやっている曲が解らない。
一ヶ月経つとチャートはまるっきり変わってしまうので
全然知らない曲ばかりである。
少々勉強しなければ・・・。

2003年05月23日

風邪

風邪をひいた。
どうも湿度があるので、体感温度としては結構高いと思っていたのだが
実際には寒かったらしい。
誤算である。
今回の風邪は少々辛い。
熱はそんなに無いのだが、あるように感じるし
なにより喉に来る。
その為、楽器はおろか、喋ることもあまり自由ではない。
そこまで深く風邪をひいたわけではないので
明日にはほとんど治っているとは思うが
皆さんも気を付けよう。

2003年05月24日

渋谷

渋谷に行った。
というのも山本氏と少々音楽の話をしに行ったのである。
渋谷の街を歩いていて、やはり人が多い。
というよりも道が狭い。
その為、人が実際の数以上に思えてしまう。
一週間前はNYにいたので、妙な感覚である。
山本氏と待ち合わせの場所に行くと
渋谷で夜にLiveの杉山氏も来ていた。
実は行こうと思っていたのだが風邪のため遠慮させて頂いた。
前から見たかったBANDなので残念である。
三人でコードの事で色々と話した。
言い出しっぺは山本氏なのだが
やはりみんな色々と勉強していて良い刺激になる。
ちょっと出来るくらいでは通用しない。
この感覚が面白い。
その後で山本氏とタワレコに行き、いろいろと試聴した。
しばらくCDのリリースの事に関して、気に止めなかったので
色々なアーティストがCDを出していて非常に面白い。
中でもハイラム・ブロックの新作は抜群に良い。
最高である。
是非ともLiveでみたいと思うのだがスケジュール次第である。
いやはや、本当に良い。
他にもデビッド・サンボーンもリリースしていた。
スティービー・ワンダーのIsn't She Lovelyなど
有名な曲のカバーを幾つかやっていて興味深いモノである。
今回の作品はちょっと大人な感じで深みがあって良い。
たまにはCDショップで時間を潰すのも一興である。
良い一日であった。

2003年05月26日

練習

ちょっと籠もって本格的に吹き始めた。
しかしながら、いまだ体調思わしくなく
本調子とはほど遠いものである。
昨日の時点で治っていたと思っていたのだが
そうでもなかったらしい。
Alecの課題はやはり難関で、時間がかかりそうである。
それもあるが、一ヶ月近く離れていた楽器を
自分の感覚に早く戻さねばならない。
全ての楽器をコンスタントに慣らすという事は非常に難しい。
そんなこんなで早めに休むことにする。

選定

渋谷のSelmer Japanにてマウスピースとリガチャーの選定を行った。
慶應義塾大学のクロスオーバー研究会に入った新入生である。
彼女が使っている楽器が非常に興味深いモノであった。
Victoryというアジアのメーカーなのだが
私も未だ聞いたことがない。
試しに吹いてみると、これがなかなか良い。
値段は10万くらいという事だが
音質はYAMAHAの学生用のモデルに似ている。
音程はさすがアジアの楽器、という所だが
調整次第で何とかなる雰囲気であった。
パーツも良いモノが見つかり、良かったと思う。
これからも頑張って欲しいモノである。

2003年05月30日

選定 & へそ祭り

渋谷SelmerJapanにてマウスピースの選定を行った。
といっても、今回は自分の分である。
前のシリーズ2で使っていたモノと今現在使っているモノを
吹き比べてみたら、圧倒的に現在使っている方が勝っていて
以前使用していたモノは予備のマウスピースと呼ぶには
少々荷が重過ぎる事が判明した為である。
選定を行ったところ、今使用しているモノよりも
現在の私のスタイルに合ったモノが見つかり良い結果となった。
今後は、本日見つけたモノがメインとなる。

ところで、秋田県河辺町のへそ祭が中止になったそうだ。
原因はメインイベントのへそ踊りの参加者がゼロだったかららしい。
その祭の存在自体知るよしもなかったが
どうやったら「へそ」で祭が出来るのだ。
あれで飲めや歌えのお祭り騒ぎができるとは思えない。
だいたい、「へそ踊り」とは一体なんなのだ。
腹踊りとはまた違った踊りなのか・・・。
といってもへそを動かすと言うことは
腹を動かすのと同じであるため
結局は腹踊りになってしまう気がするのだが。
この祭は1985年から続いているらしいが
このイベントに少なくとも17年間出場した人間がいた事が非常に怪奇である。
何が楽しくて人前で腹を出して踊るのだろうか。
そもそもどんな踊りなのか・・・。
踊りと言うからにはスタイルが色々あって
例えば「凹へそスタイル」「凸へそスタイル」などのスタイルが考えられる。
逆に考えればこんな怪奇なスタイルのあるダンスは世界に少ない。
これは日本の素晴らしい文化になる可能性を秘めているとも言える。
バックダンサーがへそ踊りをしていたら
さぞかし異国の人々は面白く思うだろう。
個人的には見るのは良いが、自分に関係するのは避けたいところである。

2003年05月31日

祝!2000アクセス!

Home Pageを改装してから数えて
ついに2000アクセスを越えた。
およそ3ヶ月半で達成である。
本当に有り難い。
これからも頑張って更新していくので
是非是非ご贔屓にして頂きたい。
このHome Pageへのご意見ご要望などは
メールフォームから送って頂ければ
可能な限り実現させる方向で検討していきたいので
宜しくお願いしたい。

2003年06月03日

横浜石橋楽器

仕事先で頼まれた機材を買いに横浜の石橋に行った。
ついてみると、「改装中」・・・・・。
せっかく来たのに・・・。
渋谷といい、横浜といい、最近石橋楽器の改装中が目立つ。
何かあったのだろうか。
商品の充実を願うばかりである。
しかしながら渋谷の方は、昔は管楽器も取り扱っていて
見ていて面白かったのだが、最近はやめてしまって非常に残念である。
横浜もそうならなければ良いのだが・・・。

2003年06月09日

偶然

渋谷のSelmerJapanにSaxの調整に出かけた。
調整を待っている間に渋谷の街をぶらつく。
するとクロスオーバー研究会の後輩に出会った。
なんとも偶然である。
久々にあったので、また顔を出したくなってしまった。
しかしながら私は渋谷で人に会う確率が非常に高い。
今日は道で会ったのだが、ほとんどの場合、石橋楽器である。
なんとも私の行動範囲の狭さを物語っているが
なにぶん楽器屋巡りは趣味というか既に本能である。
是非とも楽器屋で見かけた際には
気軽に声を掛けて頂きたい。

2003年06月15日

仲間

表参道で同窓会があった。
随分と久しぶりの面子もいて非常に嬉しかった。
よく何年か経つと変わってしまう人もいたりするが
全く変わっていない。
非常に心の休養になった。
出来ればずっと何か共通することをやっていたいものだが
そうもいかないのだろうか。
残念なことである。
しかしながら仲間の成功というのも、また気持ちの良いものである。
それが刺激になり、自分の気持ちも向上する。
なんとも言えないモノである。
今付き合っている方々は音楽の世界で共通しているので
本当に末永くお付き合いしていきたいものである。
そう考えるとこの世界は厳しい。
他の場所も勿論厳しいと思うが何かマニュアルのような形が
出来ていて、何とかやっていける。
しかしながら音楽性などで限界ギリギリのラインの話や
選択を迫られたときは、非常に辛い。
マニュアルが無い分、正解も無い。
その人のセンスである。
音楽性もさることながら、話術もひとつのキーポイントである。
誤解などがあっては上手く行く話しも上手く行かなくなってしまう。
気楽に深い部分を話し合える仲間内だけで
仕事が出来たら非常に楽なのだが・・・。
しかしながら今度のSlaveの面々はまさにその仲間である。
Liveもおそらく素晴らしいモノになる事は間違いない。
是非とも皆さん足を運んでいただきたい。
うーん。上手く宣伝にもっていくことが出来た。
しかもちょっと良い話。
今日は満足である。(笑)

2003年06月17日

無意味なこと

電車の中での会話である。
サラリーマンらしき男性3人が
どうやら年齢の話で盛り上がっていた。
「お前四捨五入したらもう40じゃん」
皆さんもこのような会話を良く耳にすると思う。
しかし、しかしである。
この会話、良く考えると全く意味がない。
年齢の四捨五入になんの意味があると言うのだ。
この新事実とは裏腹に、この会話はエスカレートしていった。
「バーカ、大きく四捨五入すれば0歳だ」
って、少なくとも35~39歳までの大人の返す言葉とは思えない
くだらない返答である。
でも、これも飲み会などの酒の席では良くある話。
そうしたらもう一つ大きく四捨五入すれば
誰もが0歳になってしまう。
何とも意味がない。
それを大の大人が3人も揃って・・・。
おそらく営業回りか何かだろう。
それ以外に話すことは無いのか、君たちは・・・。
と言いつつも、たまにこういう会話に
真面目に参加してしまう私であった。

2003年06月23日

日本対コロンビア & 選定

だーーー。
悔しい。
結構良い感じだっただけに悔やまれる。
どうもディフェンスが危なっかしい気がする。
しかしながらオフェンスは良い。
ここ数年で随分と何か期待させる攻撃が多く見られるようになった気がする。
まぁ、一サッカーファンの戯れ言なのだが・・・。
夜中というか明け方に、ついついエキサイトしてしまった。
サッカーは素晴らしい。
そんな寝不足を振り払いつつ、渋谷SelmerJapanにて
Saxの選定を行った。
どうやら私は選定のスピードが速いらしい。
特に楽器本体の選定は速い。
別に自慢にもならないが、仲良くさせて頂いている
お店の方に「速っ!」と言われてしまった。
今回は非常にレスポンスの良い楽器があり
依頼者の感じに凄くフィットするのではないかと思われる。
頑張って欲しいものである。

2003年06月25日

隣の家

私の住んでいる所の隣の家はちょっと面白い。
というのも非常にケンカが多いのである。
今までの私の知る限りの通算戦績は5勝3敗2引き分けで
夫が勝っている。
しかもこのケンカのネタが最高である。
どうやら妻が夫が楽しみにしていた桃を食べてしまったらしく
夫は夜の11時を回ったくらいで
「お前、桃食っただろーーーーー!!!」
と大声を張り上げている。
それに妻も応戦して、戦いはヒートアップ。
さすがに声が大きいのでベランダに出て見る。
ふと回りを見渡すと、このマンションは勿論のこと
向かいのマンションや隣の一軒家の人々が皆ベランダから顔を出して
戦況を伺っているのである。
凄い。もうこんなにサポーターがついてるなんて。
私は引っ越してからまだ二年しか経っていないのだが
どうやらこの夫婦のケンカは恒例行事らしい。
近所でも感じの悪い人No.1なのだそうな。
なるほど、桃くらいでケンカするくらいだから
相当なものなのだろう。
他にも紙袋消失事件や電話料金事件などがある。
また何かあった際にはお知らせしたい。

2003年06月28日

文字変換

近年発達してきているパソコンの入力ソフトのおかげで
文字入力が非常に楽になってきていると思う。
私のパソコンでは「ま」と打つと「Macintosh」
「うぃ」と打つと「Windows」「さ」と打つと「Sax」
「え」と打つと「MD」「MP3」「Aメロ」
という具合に、いちいち半角英数にする手間を省いている。
つまり日本語入力の状態のまま、日常的に使用する半角の文字が打てるのである。
しかしながら、ふと我に返ると結構マニアックな変換となっている事に気付いた。
本当に私仕様のパソコンとなってしまっている。
おそらく他の人が使ったら、なぜこういう変換になるのか
理解に苦しむことだろう。
上記の変換の他にも、更に多くのアホな変換が隠されている。
皆さんのマニアックな変換を是非ともBBSにて
教えていただきたい。
変態変換を自慢しようではないか。

2003年06月29日

共演!渡辺貞夫氏

渋谷Selmer Japanにて、バンドーレン社の
新製品紹介のレセプションが行われた。
幸いにも私の所にも招待状が来た。
行ってみると、最後列になんと渡辺貞夫氏が座っていた。
非常に恐縮ながらその一つ前の列にて話を聞いていた。
今回はバンドーレン社が新しく発表したリードの「ZZ」と
マウスピースの「オプティマム」の説明であった。
マウスピースの方は、私には関係の薄い商品だったが
リードの方は興味深い商品であった。
実は、一週間くらい前に既にチェックはしていたが
説明を聞くと、これまた興味が沸くものである。
私の場合はTenorに使うリードとして試行錯誤の途中である。
何事もなくレセプションは終わり、その後の懇親会である。
始まる直前に来たので解らなかったのだが
マンディ満ちる氏のバックのSax奏者である木村佳代子氏がいた。
以前から交流があり、久しぶりに逢ったので非常に楽しく話させて頂いた。
彼女のHome Pageは一番下にリンクがあるので
是非一度遊びに行ってみて頂きたい。
そして懇親会も大分落ち着いた所で、一度外に出ていた渡辺氏が
帰ってきたのである。
そして、開口一番「何かやろうよ。」である。
言うが早いか、早速Pianoを弾き始めた。
と言うわけで、セッションである。
今日はレセプションが目的なので、楽器を持ってきている人が少ない。
私は偶然にも楽器を持っていたのである。
これはまたとないチャンスである。
一番で飛び入りしてみる。
渡辺氏に伴奏を弾いてもらって演奏するなど
滅多にない経験である。
そのうち、渡辺氏が楽器を手にして吹き出した。
そして、私の方を見てバトルを仕掛けて来てくれたのである。
もうこちらとしては何を吹いているのか良く解ってないが
とにかく意味のある音を出そうと必死である。
まさか渡辺貞夫氏と共演出来るとは思わなんだ。
何とも、今年一番の得をしてしまった。
その後も何曲かセッションして、今度は宴会になっていた。。
やはり、彼ほどになるとオーラが出ていて
こちらとしては何とも近寄り難いのである。
別に彼は非常にフレンドリーな方なのだが緊張してしまう。
貴重な体験であった。

2003年06月30日

いつの間にか

しばらく深く見ていなかったので気付かなかったが
リニューアルしてから2000アクセスを超えていた。
素晴らしい。
しかもタナボタ気分である。
これもまた嬉しい。
今後ともよろしくお願いしたい。

2003年07月01日

シェイカー

この間のSlaveのLiveで使用したシェイカーの評判が良い。
メールであのシェイカーの音が良かったと言うメールが
何通か来ているのである。
あのシェイカーはNYで小山太郎氏に連れて行って頂いた
隠れPercussionショップにて購入したモノである。
ただ、、、
実は日本に帰ってきてからお茶の水に行ったところ
売っていたのである。。。。。
しかし、、、倍の価格で。
何とも慰めてくれるではないか。
日本の方が安かったら目も当てられないところであった。
とにかく、評判が良いのは非常に嬉しいことである。
あのLiveの為に、私は一ヶ月位のあいだ
TVなどを見ながら、CMや挿入歌のテンポに合わせたり
車で移動中に信号で止まる度に練習していたのである。
一日平均3~4時間シェイカーを振っていた。
何ともアホらしい光景であった。
何度か隣の車の運転手のおいちゃんに
二度見、三度見されてしまった。
今回聞き逃してしまった人は、次回に是非期待して頂きたい。

2003年07月08日

Hard

このところ、少々自分に時間が取れるスケジュールなので
徹底的にたたき直している所である。
特にSaxを中心に特訓中である。
NYで学んだことを掘り下げて練習しているのだが
自分で思いっきり後悔している。
Alecの所で作成した自分のスケールだが大変である。
難しすぎる・・・。
こんなの作るんじゃなかった。
今まではどちらかというと流れるような動きが多かったのだが
これは真逆なのである。
Saxは基本的に右手は休むことはあっても
左手は休むことはほとんどない。
つまり、絶えず何かしらのKeyを押さえている状態なのである。
しかしながら、右手を動かしている時は
左手は押さえているだけで動かす必要はない。
ただ、フレーズやスケールによっては頻繁に動かすことがある。
個人的にFusionの道を通ってきたので
いわゆるエグエグの超絶技巧系のフレーズはなれていると思っていた。
その考えを、まさか他人の曲などではなく
自分自身にひっくり返されるとは思わなかった。
とにかくエグイの何の。
しかも報われない事に、おそらくリスナーは聞いていて
さほど難しい事をしているようには絶対に見えないのである。
何とも悲しいモノである。。。。
よほど派手なフレーズでない限り、リスナーにそのような印象を
つける事は難しいと思われる。
誰か私に愛の手を。。。。
もっと上に行き、誰かが自分をコピーするようになり
そこで初めて気づくのだろう。
あぁ無情なり。

2003年07月10日

Palm

私はスケジュール管理をPalmというPDAを使用して行っている。
実はこれが4月に見事壊れてしまい、電池を換えてもウンともスンとも言わない。
やっと自分の周辺も落ち着いてきて、今後の予定を立てようと考えたのと
MacintoshをOSXに換えた事もあり、そろそろどうにかしようと考えた。
最近はどうやらSonyのCLIEが非常に人気が高い。
Macintoshとシンクさせるミッシングシンクというソフトもあり
どうやら取りあえず使えるようである。
しかしながら、相手はSonyである。
とてもじゃないがSonyには良い印象が全くない。
まず融通が利かないし、消費者の事は考えない。
目を引く機能を取り付けて、高い値段で売り払い
その後の他の会社との互換性は全く保証しないから
結局ユーザーは泣き寝入りすることになる。
私はVAIOなどのコンピューター関係の製品において
痛いほどこの手の譚を聞いている。
また、問い合わせでも非常に失礼な対応を受けた事があり微妙な所であった。
調べに調べてみるとCLIEの性能は確かにずば抜けている。
Windowsで使うという事を前提にすれば結構な機能が搭載されている。
ただ、私のメインはMacintoshなので、どうにも踏み出せない。
と、家で頭を抱えていると、ふと壊れた前のPDAが目に入った。
どうせなら中をみて、今後のために把握しておこう・・・。
と考えてしまった。
そう、私のガキっぽい精神がフル稼働してしまったのである。
早速、精密ドライバーを取りだし分解する。
ついでに故障の原因まで探ってやろうかと思ったが
やはりさっぱり分からなかった。
分かったのは開け方とケースの構造だけであった。
ガッカリしながらフタを閉めた。
一度触ったら、取りあえず電源を容れてみたくなるのが世の常である。
たまたま電池があったのでスイッチを入れてみると・・・・・・・。
・・・・・ピ!
をぉ、、、入ったではないか。
なんとこともあろうか直ってしまった。
素晴らしい。
これでSonyに屈服する事なく、今後の予定を管理できる。
神の手だ。
などと喜びながらPDAに新しくセットアップする事1時間。
セットアップの時間というのは、本来あまり好きではないのだが
なんとも幸せな一時であった。

2003年07月12日

だいぶ夏らしくなってきた。
昨日今日と、過ごしにくい温度に変わってきて
集中力が乱れる嫌な季節となっている。
私はなるべく空調をギリギリまで使用しない事にしている。
そのため、窓を開けて軽く扇風機を回しているだけである。
一度空調で体を壊しそうになった事があり
電気代もバカにならないのである。
しかし、さすがにそろそろ空調を使用する時期が近づいている。
普通に過ごすだけなら問題は無いのだが
私の家のブースの中はとんでもない暑さになるのである。
室内は窓からの風がある程度入っているが
ブースの中は全くの密室であり、換気扇はあるが
室温を下げるほどの効果は無い。
その上、人が入る事により湿度も上がる。
私は一回に2時間以上ブースの中にいるため
ブースの中は35度を超え、湿度も80%くらいまで上がるのである。
このブースの中の温度を下げるためには
ブースのある部屋の室温ごと下げてやる必要がある。
となると、もうすぐ外の風だけではどうにもならなくなるのである。
本当はブースを建てる時に空調を入れてもらおうと思ったのだが
防音の関係や、ブースの位置の関係から、それが不可能となったのである。
今度引っ越す時は必ずブースに空調を入れてやると
心に誓う今日この頃であった。

2003年07月15日

接客

私が車を修理や車検に出しているお店は少々変である。
実は車検が切れるので、昨日そのお店に持っていった。
すると、もし問題がなければ明日にでも完了すると言うのである。
そして、明日つまり今日の朝に連絡があった。
しかしながら、その連絡が素晴らしく変である。
電話が鳴ったので、私が出て「もしもし」というと
彼は一言「できた。」だけである。
なんとも接客する気が全くない。
腕は確かだし、値段も安い。
人格も別に悪いわけではなく、むしろ優しい。
しかし、東北から来たらしく接客の「せ」の字も興味がないらしい。
電話越しの最初の言葉が「できた。」だけである。
なんとも素晴らしい対応である。
向こうは無愛想な喋り方なのに対し、私は敬語である。
立場が思い切り逆なのである。
しかしながら、いろいろサービスしてくれたりする。
悪気は無いないんだろうな。
面白い人である。

2003年07月16日

佐川急便

私は仕事柄、譜面や音源などを送ってもらう事が非常に多い。
郵便などでは信用できない場合や、生活が夜に偏っているため
コンビニで出す事が出来るからという理由も含まれるのだろう。
その為、私の家には頻繁に運送会社の方々が来る。
しかし理由は解らないが、皆送ってくるのは佐川急便を使用する。
一ヶ月に5回以上、多い時は10回になる事もあるが
そのほとんどが佐川急便である。
どうやら佐川急便で担当地区があるらしく
私の所へ来る人は決まっておじさんとおじいさんの間くらいの男性である。
こんな生活が2年以上も続いているため、彼は段々慣れてきてしまった。
最近は相手方が時間をどうするかと問うので、時間を指定して送ってもらうと
佐川の彼は配達の都合で、少々早い場合に電話をかけてきて
ちょっと早いんですが良いですかね?
などと聞いてくるようになった。
今日に至っては、30分以上前に電話が来て
今、近くにいるんですが大丈夫ですか?
と言うのである。
段々時間指定の意味が無くなってきている気がする。。。
といっても何時間もズレるわけではないし
もしダメなら、正規の時間に来てくれるので問題はない。
慣れとは面白いものである。
次回は何分前に電話が来るのだろうか。

2003年07月21日

洗車

昼下がりから夕方にかけて、とんでもない大雨が降った。
良く思い出してみると、昼間洗車をしていた人を3人見かけた。
ご苦労様である。
まさか、洗車をした数時間後に大雨が降るとは思ってもみなかっただろう。
大雨といっても、一時的なモノで2時間くらいで止んでしまった。
しかし、量が凄い。
もうシャワーである。
片腕を外に出すと、水滴が付くというレベルではなく
ビショビショになってしまうのである。
ここ数年で勢いだけなら一番かも知れない。
私はその時、丁度車で移動中であった。
止んだ頃に目的地に着いたので、車を見て驚いた。
洗車してある・・・・。
もの凄い量の雨の為、その水圧と水量で完全に汚れが洗い流されている。
そろそろ汚くなってきたとは思っていたのだが
少々得した気分である。
この雨を体験したのは横浜なので
東京の方は降ったのだろうか。

2003年07月22日

選定

渋谷Selmer JapanにてSaxの選定を行った。
今回はシリーズ2の選定であった。
楽器は依頼人の希望のモノが見つかり、良い結果であった。
ただ、今回特筆すべきはマウスピースとリガチャーである。
両方とも格段に良いモノが見つかった。
特にマウスピースに関しては、私が選定した中では一番のモノだと思われる。
心の中で、私が使用しているマウスピースでない事を
嬉しく思ってしまった。
他人の楽器を選定していて、自分のモノより良い楽器があると
本当に落ち込んでしまうからである。
幸い、未だ楽器に関しては自分のモノより良い楽器は
お目にかかった事はない。
しかし、リガチャーやマウスピースに関しては
1度ずつあるのである。
この時ばかりは結構凹んでしまう。
さておき、良い選定結果となり非常に喜ばしい限りである。
嬉しそうに楽器を持ち帰る姿は、選んだ方としても気持ちが良い。
より一層練習に熱が入る事だろう。
私も刺激を受け、いつもより練習時間が延びた本日であった。

2003年07月26日

Drums

自由が丘でDrumsのレッスンを行った。
レッスンと言っても友人の紹介で
Drumsをある条件で教える事になったのである。
それは、、、、、英語。
実はその友人は今共同アパートに住んでいて
住人はほとんどが外国人なのである。
今回紹介してくれた人は、見た目は日本人なのだが
中身は完全なアメリカ人なのである。
国籍などは解らないが、両親とも日本人で
アメリカで育ったらしい。
彼は日本語がほとんど話せない。
両親は日本語をあまり話さなかったらしい。
非常に珍しいケースだと思われる。
なので、私や友人は勿論生粋の日本人で
彼も見た目は思いっきり日本人。
つまり、回りから見れば日本人の三人組なのである。
しかし、言葉は英語。
よくよく考えると、もの凄い奇妙なシチュエーションである。
で、私はDrumsを教える代わりに彼は私に英語を教えてくれる。
教えると言っても生徒と先生の雰囲気は全くない。
友達感覚である。
やった。ついに念願の英語圏の友人が出来た。。。
もうウハウハである。
面白い事に、音楽に関してはあまり問題が無いのに
日常会話で問題が起きる事が多い。
改めて音楽は世界共通言語なのだと思う一日であった。

2003年07月27日

チャット

このHome Pageはアメリカのとある会社のサーバ借りている。
いわゆるホスティングサービスというヤツである。
日本のホスティングサービスは高額な上に機能が貧弱。
この会社は日本の金額の6割くらいの料金なのである。
その為アメリカの会社を使用しているのである。
それが、昨日の深夜から今日の夜まで接続不能となった。
気付いたのは昨日の深夜で、昨晩アクセスしてくれた友人の話を聞くに
少々挙動に不具合があったとの事であった。
ちょうど契約更新の時期でもあり、契約は自動的に更新されるはずなのだが
何か問題でもあったのかと心配していた。
インターネットと自分が使用しているプロバイダのE-mailは
使用可能なので、出来る限り調べてみたが全く原因がわからない。
そこで24時間受け付けている、その会社のチャットのサービスに接続してみた。
しかし、待てども待てども接続される気配がない。
オペレーターがチャットに出るのを待て
という表示が出たまま20分以上待っていた。
出かける時間が来たので一度出かけて帰って来た。
そこでまたチャットに挑戦。
今度は接続出来た。
そう。アメリカの会社である以上はチャットも英語。
うぎゃーーーー。
必死に辞書と格闘しながら現在の状況を説明し
相手の反応を翻訳する。
これまた精神的に疲れる作業である。
ただ、電話よりは格段に良い。
電話だと発音が聞き取りづらい上に、喋った言葉が記録されない。
つまり、聞き取れなければ翻訳さえも出来ないのである。
また、話しているテンポというモノもある。
チャットならば時間がかかっても多少は問題ないが
電話での会話はそうはいかない。
どちらにせよ疲れる事には変わりない。
話を進めていくと、どうやら私のHome Pageを格納しているHDDが
故障したとの事で、現在復旧作業中と返答してきた。
一時間以内には復旧すると教えてくれたので待ったのだが
3時間待っても全く復旧しない。
仕方なくまたチャットで話すと、今度は15分から30分以内には
復旧する見込みとの事であった。
そして、ようやく復旧した。
私だけかもしれないが、コンピュータのトラブルは
異常に精神力を使う。
解決した時にはもう疲れ果てている事が多い。
しかし、英語のチャットは勉強になる。
ちょこちょこ話してみたいがそうもいかない。
残念である。

2003年07月29日

祝3000アクセス!

Home Pageリニューアルしてから、ついに3000アクセスを超えた。
皆さん本当にどうも有り難う!
リニューアル以来、非常に好評を頂いている上に
反応のE-mailまで頂けるようになり、嬉しい限りである。
今後は企画モノなど、色々試みを考えているので
皆さん是非とも参加して頂きたい。
今後とも宜しく。

2003年08月01日

挑戦

くだらない事に挑戦してみた。
手を使わずにズボンをはく事が出来るか?というモノである。
結果は、、、、、、無理。。。
膝の上まではどうにかなるが、腰の所までは無理だった。
そして、実用性は・・・無し。
というのも、滅茶苦茶大変なのである。
そもそも、思いついたきっかけが悪い。
もし自分の手が無かったら、、、と考えてしまったのだが
ストレッチの様に色々と動かなければいけないので
手が無かったら余計に危ない。
と言う事で、良い子の皆さんは真似しない様に。

あー、何ともくだらん。。。

2003年08月02日

Mark

自分のマークを製作中である。
ロゴのようなもので、このサイトのアドレスのアイコンなどに
使用されるものである。
自分の名前のアルファベットを使って目下デザイン中だが
なんとも難しい。
どうせならセンスのあるモノにしたいと思っているが
そう簡単にはいかないようである。
一日に何十パターン作っても良いデザインがあるとは限らない。
どこかから神が降りてくることを祈るばかりである。
是非とも期待してお待ちいただきたい。

2003年08月03日

目が開かない

事件である。
昨夜、作業をしながら疲れ果てて眠ってしまった。
そう。。。ピアノに頭を乗せたまま。。。。
ぐっすり眠った後、起きた瞬間に地獄が待っていた。
目が開かない。。。。
どうやら黒鍵が両目にジャストフィットした状態で
眠っていたらしいのである。
この症状は前に友人も同じような事をやった事があり
体験談を聞いていたので、さほど慌てる事はなかった。
ただ、痛いものは痛い。
さっそく付き添いをつけて眼科に行く。
思ったほど悪い状態ではなかったようだ。
睡眠時間が短かったのが幸いしたらしい。
そんなこんなで、この文を書いているのは深夜なのだが
やっと目を軽く開けられるようになった。
こんな中、Home Pageの更新している私は偉い。。。
いや、バカとも言える。。。
さておき、昼夜と予定をキャンセルしてしまったので
非常に残念であった。
今日の高田馬場のにしやん氏のLiveはどうだったのだろうか。
あぁ、にしやんさん。ごめんなさい・・・・・。

2003年08月04日

ほぼ完治した。
おそらく明日には全く問題ないだろう。
以後気をつけねば。
心配してE-mailを下さった方々。
BBSに書き込みしていただいた方々。
どうも有難う。
非常に嬉しかった。
画面を通して暖かさが伝わってきました。
本当に有難う。

さて、やっとセミの声が聞こえて来て夏らしくなってきた。
そんな中、噂の隣人さんはいち早く夏風邪をひいたらしい。
ひっきりなしに咳とクシャミが聞こえる。
なんか辛そうなので、要注意である。
目の次は夏風邪なんてシャレにならない。

そうそう。
このHomePage見て思ったのだが
「K.Ice氏」って、、、変。
自分で作ったので自爆だが何か変。
何で思いついたんだろう。
最初はネットに名前を出すのが怖かったのだが
思えばHomePageを作った時にプロフィールに
思いっきり自分の名前を書いていた覚えが。。。
自分の思考回路って辿って行くと面白い。

2003年08月10日

CPU

探しに探していた米PowerLogix社のMacintoshG3の
CPUカードが見つかった。
滋賀県にあるMacintoshの専門店のWebSiteにて発見した。
この製品はG3の800のスピードを手持ちのMacで発揮できる
非常に有り難い品である。
これまでに二度ほど日本の代理店によって輸入されたが
その時はOSXに私が乗り換えていなかった為
購入を検討していなかった。
しかしOSXに乗り換えて、問題なく動いてはいるのだが
段々と欲が出てきて、OSXで色々とやりたい事が出てきた。
その為には少々CPUパワーが足りないのである。
と、この決断をした時には超人気商品である為
どこのお店も購入は不可能であった。
諦めつつも地方のMacintosh専門店のWebSiteを回っていたところ
ついに発見する事が出来たのである。
注文の電話をかけてみると、明日には届くとの事であった。
明日は取り付けと動作確認などなどで非常に面白そうである。

2003年08月11日

成功、そして。。。

時間指定のとおりに宅急便で昨日のCPUが届いた。
早速コンピュータを落としてCPUを置換してみる。
こういう場面ではいつも何かしらのトラブルに見舞われるので
非常に警戒していたが、何事もなく一発で完了。
使用感がガラッと変わったのが解る。
やはり速いって素晴らしい。
コンピュータは速いモノに限る。
自分ではそんなにストレスなく使用していたのだが
実際にPowerを上げてみると、もう元の世界には戻れない。
おそらく今までの使用感は、自分がストレスを感じないギリギリの
ラインだったのであろう。
その為、比べるモノが無い環境ではストレスにならなかったのである。
G4も所有しているが、未だ音楽環境をOSXに移行するには至っていない。
今現在OSXを使用しているのはこのG3 B&Wだけである。
このところ著しく身の回りの機材環境が変化している。
PowerMac7300/180とその周辺機器は既に人に売却して
DTMでも余り必要としない機材も売却してしまった。
環境が安定し次第、HomePage上の情報は更新するつもりである。
とにかく、問題なく動いてくれた事には非常に感謝感激であった。
しかし、やはり落とし穴が待っていたのである。
7300の時から使用していたSCSI接続のHDD(4.3GB)が
完全に昇天してしまったのである。
普段はこのG3 B&Wは滅多に電源を落とさない。
再起動のときはHDDには電源が供給されたままなので
HDDとしては実質電源が入ったままの状態なのである。
もう2年以上も電源は落としたことが無かった。
その為か、久しぶりに電源を落とした後で
再び起動し、しばらくすると何も反応しなくなったのである。
おそらく寿命だったのだろう。
かれこれ6年以上も連続使用していたHDDである。
この辺が潮時とでも言ったところか。
お疲れ様である。
幸いたいしたデータは無く、BackUpなどで
どうにか復旧可能なので問題は無かった。

しかし、どうして私の場合必ず落とし穴があるのだろうか・・・。
他人の手伝いをする時には起きないのに自分の時だけ・・・。

2003年08月13日

Mail消失???

いきなりE-mailのデータが消失した・・・。
と思ったのだが、どうやらアプリケーションが壊れたらしい。
正確にはどこかで初期設定ファイルが故障したようである。
現在復旧中であるが未だ完全復活に至っていない。
おそらく明日までにはどうにか復活しているはずである。
大事なメールを送りたかったのだが・・・。

2003年08月14日

寒暖

寒い。
もの凄い寒暖の差である。
ついこの間まで素晴らしい暑さだったところに
この寒さである。
8月の半ばだと言うのに、この気温は少々異常である。
コンピューターに続いて体調を崩さない様にしなければ。
昨日のコンピューターの不調だが、何とか復旧した。
無事にメールも送る事が出来たので一段落である。
これに懲りて、早急にバックアップを取る事にした。
データが膨大な量なのでバックアップにかなりの時間を要する。
バックアップ時はその間コンピューターをほとんど使用できない為
音楽活動、デザイン、その他に非常に影響が出てしまう。
その為、なるべく寝る前にセットして寝ている間に
自動的にバックアップを取るように設定する。
それでも全データをバックアップするには
10日以上の時間がかかるだろう。
深夜のメールはレスポンスが遅れる事があるので
しばらくはご容赦頂きたい。
それでも24時間以内には返信出来るはずである。

2003年08月15日

話題が暗い

非常に変なことに気づいてしまった。
実はここ数日、コンピュータの故障などの事を書いてきたが
このような私の不幸の事態の時はアクセス数が多い。
って、どういう事だ!!!
そんなに人の不幸が楽しいか!!!
楽しいんだろうな。多分。。。。
もの凄い不幸なわけではないし、さして問題も無いのだが
結構笑える。
前向きな私は「皆様が心配してくれているんだ。」と思うことにした。
自分で書いていて妙な気分ではあるが、そう思う事にしよう。
うん。そうしよう。。。
ところで、寒いと思ったら大雨だった。
異常気象もこう続くとちょっと心配になってくる今日この頃である。
特にSaxは非常に湿度、気温に左右されやすいので心配である。
楽器のコンディションの為にもあまり好ましくない。
早く止んで欲しいものである。

2003年08月16日

雨男

友人に雨男がいる。
しかしこれがまた異常に強力な雨男なのである。
そして笑えることに、彼の趣味は・・・登山。
このお盆休みを利用して彼は登山に行った。
結果は勿論「雨」である。
登山といっても、彼の登山は本格的なもので
遭難などトラブルに用心するため
周りの人間に自分の行き先や簡単な予定を話すようにしている。
私もその一人なので、よくその予定を聞くのだが
いつも、、、いや必ず予定より早く下山する。
そう。雨だから。
何度も趣味を変えることをお薦めしているが
やはり登山への情熱は冷めぬらしく、未だに続いている。
友人の中には強力な晴れ男もいるが
彼の雨男っぷりには敵わない。
彼を何か予定に誘う時は強力な晴れ男を2人用意しなければならない。
つまり彼と二人、または三人で出かける事は私にはありえないのである。
この交友関係は面白いので出来る限り続けたいものである。

2003年08月20日

風邪?

少々風邪気味かもしれない。
連続して寒暖の差があった為と思われる。
別に酷くもないので、対して問題ではないが
こう差があると困る。
皆さんも気を付けて頂きたい。

2003年08月21日

歯が欠けた。
風邪の次は歯が。。。
と言っても奥の方の一部が少々欠けただけで
見た目は全く変わらない。
口の中に砂利でも入ったのかと思い
見てみると、白色の半透明の小さなかけらが出てきた。
米粒かと思いきや、こんなに堅いはずはなく
舌で探ってみると、欠けていたのである。
前歯でなくて本当に良かったと思う。
直接サウンドに関わってくる。
そう考えると、Saxという楽器は歳と共にサウンドが
否応なしに変化する楽器だと言う事を実感してしまった。
自分の歯の寿命が長い事を祈るばかりである。
最も、近年は技術の発展によりよほどの事がない限り
Saxが吹けないという状態には陥らないそうなので
多少は安心である。
芸能人とSax吹きは歯が命。
少々古い文句であった。。。

2003年08月22日

MS Blaster

最近出回っているウイルスであるが
私のところのWindowsにもしっかり感染していた。
今回は症状が酷いものではなく、ただ勝手にシャットダウンするだけの
子供染みた機能のウイルスである。
駆除も簡単に出来た。
MicrosoftにてUpdateプログラムを実行して
その後でNortonにて駆除を行うだけである。
実は、私はウイルスに感染したのは初めてなのである。
もうコンピュータに関係してから8年になるが
一度も感染した事はなかった。
主にMacしか使っていない事もあるが
不思議なものである。
まだ感染していない人も、OSのUpdateだけは
確実に行っておくことを強くお薦めする。

2003年08月24日

Live! & 体調不良

2日連続出演のLiveが終了した。
二日目は昼の部で、非常に暑い。
晴れ男な私は、見事に晴天を呼び寄せ
36度という高気温を獲得した。
Liveは無事に成功を収めた。
これからもあきら氏のサポートは続けていきたいところである。
非常に心休まる、癒しの歌声であった。
で、Liveは成功だったが、私の体調は大失敗であった。
実は昨日のLiveが終わり、疲れて記事を書いてすぐに寝たのだが
猛暑の中あまり水分を取っていなかったらしく
今日の朝になり、脱水症状からくる頭痛が酷かった。
頭痛は珍しい事ではないが、いつもと比べると異常に痛かったので
とりあえず起き抜けに薬を飲んだ。
しばらくして頭痛はおさまり、Live会場に向かった。
Liveから帰ってくるまで、妙に緊張感からか
体は全くの好調で、演奏にも問題は見あたらなかった。
しかし、起き抜けの薬がまずかった。
胃が荒れて、完全にノックアウトである。
食事もままならず、水分や流動食でどうにかすごし
夜にはやっと回復した。
というわけで、大変な気温の変化も
月曜には収まるという予報なので
少しは過ごしやすくなるだろう。
疲れた。

2003年08月25日

耳が。。。

昨日の夜、記事を書いて寝てから
とんでもない事になった。
昨日の胃の調子は夜には治まっていたが
ここ最近の激しい気温の変化からか
軽い夏風邪状態となっていた。
風邪と言えば、定番なのが鼻づまりである。
そうくれば普通は鼻をかむ。
それは寝る直前の出来事であった。
右耳に激痛が走ったのである。
痛かったが、鼻のかみ方が悪かったのだろうと
我慢していたら、痛みが治まってきたので
そのまま寝てしまった。
すると、その二時間後に激痛で目が覚めた。
今度は昨日の頭痛は胃の痛みの比ではない。
時間にして朝の5時である。
激痛の元は寝る前の右耳の痛みである。
痛みだけではなく、耳がほとんど聞こえなくなっている。
私は耳のトラブルには今まで一度も出会った事がない。
その為、非常に不安に見舞われた。
とにかく病院の救急外来に急ぐ。
とある方に紹介して頂いて、都内の慈恵医大の大学病院に行った。
診断は、急性の中耳炎であった。
なんともメジャーな病名だけに拍子抜けしてしまった。
こんなに痛いのに、そんなメジャーな病名で良いモノか。。。
どうやら、中耳炎には個人差があるらしく
痛みも酷い人もいれば軽い痛みですむ人もいるそうである。
私の場合はその最悪のパターンだったのだろう。
とにかく歩く事さえもままならない痛みだったのである。
処方してもらった薬を飲んで、15分か20分程で
痛みはほとんど治まり、やっと落ち着いた。
その後は、その薬を服用すれば2日でほとんど回復するという。
いやはや医学の力とは素晴らしいモノである。
あんな痛みが、ものの20分足らずで消えてしまうのだから驚きである。
紹介して頂いた方、付き添って頂いた方
他にも迷惑をかけてしまった方に本当に感謝である。
職業柄、耳のトラブルは不安だったが
大したことも無く、本当に良かった。
それにしても、毎日トレーニングを重ねていても
ダメな時はダメらしい。(笑)
毎日体に気を付けて生活するしか
トラブルを避ける方法はないのだろう。
皆さんも温度の変化から来る体調不良には
気を付けて頂きたい。

2003年08月26日

休養中

昨日の今日なのでさすがに治ったりはしていない為
しばらく休養する事にした。
話によると、耳は癖になる事もあり
慢性中耳炎などにでもなったら目も当てられない。
久しぶりにSaxの練習を休んでいる。
その代わりに、やり溜めていた事をやる事にした。
聞いていないCDや見ていなかった映画
普段はなかなか出来ない曲や詞のネタ探しなど。
結構やる事はたくさんあるものである。
良い機会なので、とにかくいろいろやってみる事にしている。
息抜きというのも大事な仕事の一つだと実感してしまった。

2003年08月28日

原因解明

週の後半に入っても体調が完全に回復しない。
いつもなら3日もあれば十分に回復するのだが
原因がわからなかった。
そこまで重い症状でもないのだが長続きすると
非常にタチが悪い。
ところが、今日になって原因がやっと解明した。
ただの風邪。。。。。
耳や胃の調子も悪かったのだが
だるさや微熱が続いていたため体調が完全に戻らなかった。
どうにも解らなかったので、試しに風邪薬を飲んだところ
一時間後にはすっかり良くなった。
一時的に症状が抑えられているだけで
完全に治ったわけではないが
今日しっかり眠れば大丈夫なはずである。
やはり一度に複数の病気を併発すると原因解明が遅れる。
色々と励ましのお電話、E-mailなど、嬉しい限りであった。
というわけで、明日はいよいよiSession Vol.2である。
今年の頭にVol.1をやってから半年以上間があいたが
今回も非常に楽しみなメンバーである。
今夜は早めに寝て、明日に備えたい。

2003年09月01日

夢と現実

最近、、、やばい。
夢と現実の区別がつかない。
というのも、誰かと戦う夢を見るとする。
すると起きる時は思いっきり空中を殴り飛ばしている。
そしてその反動で起きてしまう。
他にも、夢で机の上に置いた物が
現実になってから無いことに気づいて
しばらく探してから「あ、夢の出来事だった」
と気づく。
心配だ。
最近は合宿などの人と共同生活をする事が少ないので良いのだが
誰か私の近くの人が私に殴られやしないかと心配である。
他人だけでなく、私自身もそのうち夢遊病のようになって
夜中に他の生活をしていたらどうしよう。。。。
ある意味面白い。
そういう時に上手いこと曲でも作ってくれないだろうか。
練習してくれるとか。
昔あこがれたコピーロボット状態である。
もしその時に曲が出来たら真っ先にLiveで発表したいと思う。

2003年09月06日

風邪薬

私だけだろうか。
風邪薬を飲んだ後の、あのだるさと眠気が異常に気分が良い。
麻薬ってこんな感じなのかと思ってしまう。
実は風邪気味だったので、酷くなる前に風邪薬を飲んだのである。
確かにこれで運転などしては非常に危険極まりない。
この気持ちの同意者を求むところである。

以上、暴走族の数が世界一を誇る神奈川県からお送りした。

2003年09月07日

満員電車

私はいつかやってみたいことがある。
それは満員電車の中でヒザカックンである。
しかも普通のではなくて、特定の条件下でのヒザカックンである。
満員電車では、しばしば人が
偶然にも縦に一列に並んでしまう事がある。
そう、その一番後ろからヒザカックンをして
あの否応なしの密着状態での連鎖反応を見たいのである。
4~5人連鎖してくれれば文句なしだが
実際に考えても無理があるかもしれない。
ということで、目標は3人。
つまり私の前の前の、そのまた前の人がカックンとなれば
もう、ワールドカップで日本が点を取った時の
アナウンサーくらい大喜びである。
あぁ、実現する日は来るのだろうか・・・。

2003年09月17日

MDR-CD900ST

某電気製品ディスカウントショップのポイントが貯まったので
ヘッドホンを買いに行った。
と言っても、実質はほとんどタダである。
何とも得した気分にさせてくれる制度である。
価格調査をした上で購入すれば、相当な利益である。
で、購入したのは中学時代から、いつかは購入しようと
ずっと考えていたSonyのMDR-CD900STである。
レコーディングスタジオには必ずあるアレである。
音質を理解してもヘッドホンコーナーにあると
必ず試して「やっぱり音の分離が格段に良い」と
一人で浸っていたので音質は文句なし。
最近は家の防音室での練習が多いため
防音室のデッドすぎる音響だとやはり感覚的におかしくなる。
そのため、私はマイクを通して軽いリバーブをかけて
ヘッドホンから音を聞いている。
その為、他のオケと混ぜるとマイクから拾った音が埋もれてしまい
どうにも音像が掴みにくい。
音程を取るのも少々具合が悪くなる。
しかしこの製品はそんな心配は全くなく
精一杯練習に専念できるのである。
ヘッドホン一つでそんなに変わるモノかと思ってしまうが
これが、変わるのである。
もしこんな環境に身を置いている人がいたら
是非とも試してみて頂きたい。

2003年09月18日

サーバストップ

今年に入って2回目のサーバストップである。
今年というよりも、契約してから2回目でもある。
1年間に2回もストップとなると、いよいよ具合が悪いと思っていたが
原因は不可抗力的なものであった。
前回は会社側のハードトラブルによるものだったが
今回は会社の近くのビルが火災を起こした為
その周辺の電気のケーブルを焼いてしまっていたのである。
つまり会社側は何にも悪くないのである。
時間は木曜の明け方から夜にかけて丸一日であった。
アクセスできなかった方々。申し訳ない。
しかしながら、やっとこの会社とのやりとりに慣れてきた。
サポートの感じや専門用語にも慣れてきて一安心である。
でもサポートはやはり日本の方が感じが良い。
早く日本でも安価で多機能なホスティングサービスが始まることを
願うばかりである。

2003年09月19日

不眠症

最近眠れない。
というよりも、もの凄く寝付きが悪い。
生活サイクルが狂わないように
私は起きる時間は絶対に決まっている。
どんなに遅くても10時30分には起きるようにしている。
それは前日がLiveで、ほとんど寝ていない状態でも
とにかくどんな時もそうである。
勿論、それよりも時間の関係上早く起きる事はある。
で、今の場所に住んでから
寝付きに関してはそんなに悪い方ではなかったのだが
ここの所、深夜になっても全然眠くない。
逆に結構な睡眠時間を取っても昼間に眠くなる事が多い。
深夜というか明け方というか、次の日の朝8時をすぎると
やっと眠くなる事が判明した。
となると毎日2時間しか眠れない。
いかに鉄人な私もそれが続くと、どうにもならない。
昼間眠いくせに夜になると眠くなくなる。。。
どなたか寝たい時に寝る方法はご存じないだろうか・・・・。

2003年09月22日

Macintosh不調

一昨日の深夜より、Macintoshの調子がおかしい。
今現在はWindowsとPowerBookにて場をつないでいる。
調子がおかしいのはPowerMacG3B&Wである。
Back Upはとってあるのでデータの損傷は無いが
システムが入っている重要なハードディスクかおかしいのである。
昨日より必死の作業をしているが、どうにもならないため
ついにハードディスクの完全初期化を試みている。
この手の作業は時間がかかるので
今も横でカタカタと音を立てて頑張っている。
どうなることやら。
というわけで、数日の間E-mailを見る事が出来なくなっている。
もし、私にコンタクトを取ろうとしている方がいたら
是非とも携帯のアドレスに連絡を頂きたい。

2003年09月23日

修復完了

やっとMacintoshの状態がほぼ元に戻った。
予想通りシステムの入っているハードディスクが
相当損傷しており、複数のソフトを使用して完全に初期化して
その上から全く新しいOSを入れて、設定やその他のモノを
再び元に戻して、設定し直すという莫大な時間がかかる作業を
何とか乗り越え、普段使用するには全く問題ない状態に修復した。
マメにバックアップを取っていたのが幸いして
データの損失は奇跡的にゼロであった。
これは私のコンピュータ生活で初の快挙である。
それと、注文していたWindowsが届いた。
最近はスペックにこだわらなければ、安価で相当なモノが手に入る。
今回の機種もある会社で私がBTOで購入したモノだが
非常に安いモノであった。
Windowsの良いところはメーカーが多いため
価格競争で非常に安いところだろうか。
Macintoshでは考えられない値段である。
Macintoshの中古よりもずっと安い。
早速XPを入れて起動してみると、すこぶる快調なのである。
実は前に所有していたWindowsはある日突然に昇天してしまい
どうにもならない状態で部品を取って破棄してしまい
その後Windowsは持っていなかったのである。
これでWindowsにしかないソフトとMacintoshしかないソフトを
効率的に使用して作業に望める。
時間と機会があればWindowsのDTMにも手を出そうかとも考え中である。
ともあれ疲れに疲れたが、すがすがしい気分である。

2003年10月01日

戦慄の恐怖

昨日の予告通り、ダイエーにて生活消耗品を買い溜めに行った。
怖い。怖すぎる。
やはり「おばさん」のPowerは恐ろしいモノがある。
買い物で品定めをしている時の彼女等には近づきがたい。
私が店に入っていた時間は約45分。
と言っても半分以上は並んでいる待ち時間であった。
しかしながら、その時間の中で突き飛ばされ、足を踏まれ
挙げ句の果てには、「何で平日の昼間に
若い男がこんなところにいるのか?」
という話題まで聞こえてくるではないか。
別に平日の昼間に外を出歩いている人間が
必ずしもプータロウという理由ではないと思うのだが。
大学生などはその良い例であろう。
私の身なりからして
そんな年老いている様には見えないはずなのだが・・・。
おそらく、バーゲンセールという戦場は男子禁制なのだろう。
少々値段が安い為だけに
この様な状況に身を置くのは大変である。
しかし、値段は確かに安かった・・・。
精も根も尽き果て、家にたどり着いた時には
何時間も出かけていた様な感覚に襲われた。
恐るべし、戦慄のバーゲン会場。

2003年10月03日

廻船問屋

この年齢になって、この間違いに気づくとは・・・。
よく時代劇の悪徳商人の代名詞でもある
廻船問屋の思い違いをしていたのである。
私が今までずっと思っていたのは「海鮮問屋」である。
つまり魚介類の卸売り業とでも言えば良いのだろうか。
しかし、本当は「廻船問屋」で
いわゆる船を使った運搬業だったのである。
友人にこの話をしたところ
この間違いは結構メジャーなモノだそうだ。
ただメジャーと言っても、もっと早くに気がつくのが普通らしい。
衝撃的な出来事であった。

2003年10月05日

友人Z

中学時代からの長い付き合いの友人Zと久しぶりに話をした。
話の内容はただのくだらない事である。
では、なぜここに出てきたのか。
しかもZというイニシャルにもまったく関係のない記号で。
それは彼の名誉を守るため・・・。
電話を切って少々思い出に浸っていたところ
昔の馬鹿話を思い出したのである。
この事がきっかけで私は彼と友人になろうと思ったのである。
とある英語の授業で彼は居眠りをしていた。
運の悪いことに先生がそれに気が付き、彼に問題を出した。
「このアウトローの意味はなんだ?」
その問いに彼は
「が、外角低めです。。。」
そう彼は野球部だったのである。
居眠りで話をまったく聞いていない彼は
先生の問いに思わず反射的に答えてしまったのである。
この問答で私は彼の中の底知れぬ
芸人としての素質を見出したのである。
授業が終わってから、なんとなく話すようになり、今に至る。

2003年10月09日

機械=叩く

MDデッキが突然壊れた。
MDを入れても認識せずに吐き出してしまうのである。
オプティカル出力が出来るのはこの機材だけなので
CDやコンピュータに送る事が出来ず、非常に困る。
何度もクリーニングを行おうとしたが
それも見事に吐き出してくれる。
まるで薬が苦い為に飲まない子供のようである。
あまりにもグズるので、少々お灸をすえてやろうと
縦と横の両方から引っ叩いてやったが動かない。
しかしそのまま叩き続けること3回。
ついにクリーニング用のMDを認識した。
一応しっかりと湿式のクリーニングをして使用して見ると
まったく問題なく動いている。
やはり機械が壊れた時の鉄則は、昔から変わっていない。
「機械が故障したら、とりあえず引っ叩く」
今日の教訓である。

2003年10月11日

故障中

特に用事もなかったが散歩がてらプラプラしていたら
いつの間にか新しいコンビニが出来ていた。
最近のコンビニは店舗ごとに品揃えが違って結構面白い。
案の定入ってみるといろいろあって面白い。
財布を持たずに来たのが、ある意味幸いである。
私はだいたい文房具や電池、メディアの売り場で足を止める。
こんなものでも場所によって品揃えが変わるから興味深い。
ふと後ろを見ると写真をスキャンしてシールや自前のメディアに保存する
機械がおいてあるのに気がついた。
こんなモノまであるのかと、近づいて見てみる。
別に使う気もなかったがスキャナのフタをあけてみた。
「故障中」と書いた紙がある。
って、、、、、フタの上に貼れば良いのに。。。
これでは、この機械目当てで来た客にとっては
一番の屈辱ではないだろうか?
おそらく心理的には
・店に入る
・機械を見つける
・「お、あるある」
・「えーっと、スキャンする写真は、、、」
・鞄を開けて写真を取り出す。
・スキャナのフタを開ける。
・「げ、、、、」
と、大方こうなる。
機械にわかりやすく故障中と書いてあれば、諦めも付くだろうが
これでは、何ともバカにされたようで腹が立つ。
この機械が修理されるまでに何人の犠牲者が出るのだろうか・・・。

2003年10月12日

バスケットボール

友人に誘われて、超多国籍バスケットボール大会に参加した。
オーストラリア、韓国、フランス、アメリカ、日本、etc。。。
言語は日本語か英語がメインである。
といってもゲーム中はほとんど会話がないので問題ない。
久しぶりに体を動かして、非常に良いリフレッシュになった。
明日は地獄だろう。
ただ、最初に我慢してある程度動いてしまえば
ほとんどの場合は大した事がない場合が多い。
このSiteにも書いた通り、バスケット大好き人間の私としては
非常に嬉しいイベントであった。
誘って頂いて感謝である。
次回があれば、また是非とも参加したいものである。
あー、心地よい疲れが、、、Zzzzz・・・。

2003年10月13日

病院

私は病院嫌いである。
理由は気が滅入るから。
別に薬のにおいや注射などが嫌いなわけではなく
自分は大した事ではないと自己暗示をかけて
頑張っていても、嫌が応なしに具合の悪い人が来る所という
雰囲気が漂っているのがダメなのである。
基本的には自分でどうしようもならない状態にならないと
極力行かないようにしている。
ちょっと重い風邪などの一般的な病気ならば絶対に行かない。
入院も嫌いである。
病室というのは、よほどの金持ちでなければタコ部屋である。
別に他の患者さんと顔をあわせるのは問題ない。
ただ、具合の悪い人々を一つの部屋に押し込められているような
錯覚に陥り、治りが遅くなるように感じるのである。
事実、私は10日間の入院を2日で脱走したくらいである。
さすがに先生が困っていたそうだ。
しかしながら、その後は調子は悪くならずに、しっかりと改善された。
やはりあの場所は私に合わない。
そう考えると医者という職業も大変である。
健康バンザイ。

2003年10月16日

Live決定

ついに公式発表である。
NewBANDの初Liveは12月07日の日曜日。
場所はお馴染みLapin Et Halotである。
出演BANDは
Soulove
PeeKaBoo Project
KOCO's
の三本立てである。
と言うわけでNewBANDの名前はPeeKaBoo Projectとなる。
英語版の「いない、いない、バー」である。
人類の最初のエンターテイメントとも言うべき言葉。
そこまで深く考えたかどうかは別にして
皆さんに楽しんでもらえることを願うばかりである。

2003年10月31日

いつの間にか

いつの間にかリニューアルしてから
4000アクセスを突破していた。
最近はアクセス数をあまりチェックしていなかったので
気が付かなかったが4200を超えていたのである。
このような個人サイトに、よくぞ皆様いらして頂いて
本当に有り難い限りである。
今後もこのサイトを宜しくお願いしたい。

2003年11月16日

道に迷う。

とある場所に行くのに道に迷ってしまった。
二箇所行く用事があり、その両方で迷ってしまった。
というわけで、本日auに変更する事を決めた。
もう絶対替える。
Saxのにしやん氏もauがお薦めと話しており
道に迷い、今日ほどauにしておけば良かったと思う日はなかった。
今月中にはおそらく変更しているだろう。
ただ、出来る限り良い番号を選びたいので
それによっては多少遅れるかもしれない。
また、auにしても私の携帯のメールアドレスが
@以降がonbrace.netで登録していただいている方は
そのメールアドレスは変更しないので
今まで通り、そこに送っていただければ
自動的に新しい携帯に送信されるのでご心配なく。

2003年11月20日

免許更新&男子バレー

免許更新の為に、鮫洲に行ってきた。
少々違反があり、120分の長い講習を受ける事になってしまった。
久しぶりにあの筆記試験を受けた教室に入り
講師が早口で、決まったセリフを喋る嫌な雰囲気を体験した。
おそらく彼らは毎日あのセリフを何回も喋るのだろう。
既に独特の発音で短縮して喋ってしまうので、何を言っているのか
さっぱり解らない人も多い。
私が講習を受けた講師も、単語はいくつか聞き取れるのだが
それ以上は流れを見て理解するしかない。
途中で講習とは何ら関係なく浪費される集中力に
バカバカしくなり、完全に話半分である。
さすがに居眠りは注意されるので控えた。
あれでは講習の意味が全くない。

さて、男子バレーの方は惜しくも初黒星となった。
しかしながらストレートで負けたわけではないので少々安心である。
第一セットの雰囲気が続けば、明日のセルビア戦も
大番狂わせがあるやも知れぬ。
最近は色々と興味深い事が多く、嬉しい事この上ない。

2003年11月22日

ついに携帯へ

あー、文字にすると自分がいかに流行から遅れていたかが
実感できてしまう・・・。
さておき、携帯にした。
前のPHSはしばらく解約しないつもりである。
何が苦労したって、値段を下げに下げるよう交渉し
090から始まって、しかも良い番号を取得するのに
何日もかかったのである。
しかし、その甲斐あってauのA5501T、そう最新機種を
獲得したのである。
とにかく値段が自慢である。
通常は19800円が新規の値段である。
土日特価でも15000円前後が限界だろう。
しかし、しかし、12000円!!!
やった。私は勝ったのだ。
ただ、よくよく考えてみるとそれでも利益が出ているのかと思うと
いかに儲けているかが解る。
もう少し安くしても良いものなのに。
番号を選ばなければ、Webのお店はもう少し安く出来て
だいたい11000円前後で購入出来る。
しかしながら、それで変な番号になった場合は
auで2000円払って番号を変える手続きを行わなければならない。
そうすると、実質は損である。
しかも、auに行っても必ず090の番号が取れるとは限らない。
また、そのサービスは下4桁しか自分で選ぶことが出来ないので
090に続く4桁の番号がバラバラになる可能性が高い。
となると、リアルショップを一つ一つ回って
片っ端から在庫の番号を調べるしか方法はないのである。
いやはや、疲れた。
2005年には携帯の会社を乗り換えても電話番号が変わらないという
新しいサービスが始まると予想されるだけに
ここで踏ん張っておいて正解と考える。
それに080からの番号だと、いかにも「最近携帯にしました」という
雰囲気が満載である。
それはどうも良い気がしない。
ともあれ、やっとこれで大多数への仲間入りを果たしたわけである。
これを機会に携帯のサイトでも作ろうかと模索中である。

2003年11月23日

多国籍バスケット

私は3回目からの参加なので2回目だが
先月に続き第4回多国籍バスケットに参加した。
20人近く集まり、非常に賑やかで面白い。
前回はハーフコートでの3on3が主体であったが
今回はオールコートでの試合となり、走りまくる結果となった。
ちゃっかりLiveの宣伝までしながら、連絡先などを交換したり
音楽の話などもしたりで良い一時であった。
次回も是非参加したいと思う。

2003年11月24日

翌日の恐怖

昨日のバスケが終わり、恐怖の次の日がやってきた。
運動の翌日に、ほぼ必ず待っている筋肉痛。
普通の運動ならば差し支えないが
私の性格上、加減というモノを知らない。
つまり、久しぶりだろうがなんだろうが、フルパワーである。
どうなる事かと思いきや、前回ほどではなく
特に差し障りはない。
多少の痛みはあるが、別に気にもならない。
やはり月に一回でもこの様な機会があると
体も鈍る事が無く、非常に健康的で良い気がする。

2003年11月25日

失敗

携帯の番号変更の告知メールを出したのだが
Docomoの方に送ったメールだけ帰ってきてしまった。
おそらく、迷惑なスパムメール対策をDocomo側でしているのかと
思って、3度ほど送信してしまった。
すると、実は送信は出来ていて3通同じメールが届いてしまった。
しかしながら、私の所には送信できなかったとのメッセージが
しっかりと届いているのである。
未だ原因はわからず、とりあえず告知が完了したので
あまり深くは追求するつもりは無いが
3通もメールが来てしまった方は、怒らないで登録して頂きたい。

2003年11月29日

Profuse

最近サンレコなどに広告を出して
サウンドハウスと張り合っていると思われる店に行ってきた。
というのも年末のセールだからである。
名前はProfuseといってPA機器が豊富にあり
普通に購入するよりも安いのである。
セール中ということでやはりいつもよりも大分安かった。
マイクスタンドなども半額で良い買い物をした。
場所は少々不便だが車を持っている人ならば
問題はないと思われる。
一度覗いてみてはいかがだろうか。

2003年12月01日

運動

私の職業に限った事ではないが、現代人の運動不足は
非常に危険な所に来ている気がする。
と、偉そうに書いているが、この所のスポーツ記事の面白さに
触発されたのである。
元々、スポーツ好きなので体を動かさないと、どうにも調子が悪くなる。
しかしながら、とてもではないがスポーツクラブなどに
入会する金銭的余裕などあるわけもなく
ひたすらに防音室で練習を重ねて、運動の代わりとするしかなかった。
しかしながら、ふとした事から区営の体育館がある事を知り
いろいろと電話をしてみたところ、ハーフコートで
バスケットゴールがある体育館を見つけたのである。
しかも、二時間貸し切りで200円である。
安すぎる!
早速行ってみると、思ったよりも広いのである。
確かにバスケットゴールは一つなのだが
バレーボールならばフルコートでプレイする事が出来る広さである。
この所、多国籍バスケなどで体を動かす事があったが
これで自分の好きな時に定期的に運動する事が出来る。
こういう時は自分の職業で得した気分になってしまう。
普通の会社員ならばあり得ない時間にも
自由に動けるからである。
金銭的に辛くとも、この自由度は捨てられない部分である。

2003年12月08日

一夜明けて・・・

Liveから一夜明けて・・・と思ったら夕方だった。
久々にこんなに寝てしまった。
というのも、どうにも目が冴えてしまって
昼近くまで眠れなかったのである。
その後、E-mailやBBSにて
沢山の反響を頂き、本当に嬉しい限りである。
次の企画も頭の中に描かれつつあるので
是非とも遊びに来て頂きたい。

2003年12月14日

よーく考えよー

外を歩いていると、犬の散歩に出くわした。
どうやら散歩仲間というやつらしく、主婦が二人である。
一人は白のラブラドール・レトリバー
もう一人はシベリアン・ハスキーである。
別に普通の散歩風景なのだが、明らかにおかしい点が一つ。
ハスキーがいかにも暖かそうなフサフサの服を着ているのである。
ラブラドールが着ているのならまだしも
ハスキーはその名の通り、北方の犬である。
そして、そのハスキーを見てみると・・・
ハァハァ良いながら舌を出している。
おーい。飼い主よ。気づいてあげようね。
自分の観点だけで物事を判断しないように。
良い一例だった。

2003年12月15日

職業病

とある企画の為に、某球団の応援歌を採譜している。
これが普段聴いている分には問題ないのだが
一度採譜しようと集中して聴いてしまうと
頭から離れなくなってしまうのである。
もう歩いている時も、運転している時も
パーンパーパパーンである。
勘弁して欲しいのだが、自分の頭の中なので文句が言えない。
このような症状を職業病と言うのだろう。
歌だけでなく、BassやBrassの部分まで・・・。
あーーーーー助けてーーーーー。

2003年12月16日

Jackson5

最近はsoulやFunkモノを普段から好んで聴く事が多い。
その中でも素晴らしいと再認識したのはJackson5である。
これが子供か???
という様な素晴らしい芸術性。
その上、この年でこの味を出すとは・・・。
など、考え出すと恐ろしくなってしまう。
後に彼等が成功しているのも納得である。
名曲「I'll be there」などは何度聞いても
ただただ驚くばかりである。
自分も練習しようと思う今日この頃であった。

2003年12月17日

移動

Everybody on the busのリハだった。
リハの前に仕事が入っていた為、遅れて行く事となったのだが
年末と言う事もあり、とにかく急いでいた。
人間やれば出来るモノだと感動してしまった。
金沢八景から都立大学まで、異常な早さで到着してしまった。
しかもDoor to Doorで。
詳細はここでは触れない事にする。
本来は、余裕を持って移動するのが一番と思った一日である。

2003年12月18日

背中の筋

やってしまった。
ひょんな拍子で背中の筋を違えてしまった。
捻挫や裂傷などの解りやすい怪我の治りは
基本的に非常に速いのだが、この手の負傷は治りが遅い。
明日は羽田のLiveなので、それまでにどうにかなるか不安である。
現在、必死で養生中である。
そこまで大したモノではないのだが、演奏に支障を来す可能性も
ないとは言い切れないので、とにかく治るように努力する限りである。

2003年12月20日

因縁の代々木NOAH

22日のLiveの最終リハだったのだが
今回のリハのスタジオだけ代々木NOAHだったのである。
このスタジオは実は非常に悪い意味で縁の深いスタジオで
必ず迷うのである。
おそらく知っている人は「ん?なんで迷うの?」と思っている事だろう。
今回で三回目となるのだが、案の定やっぱり迷った。
直線距離で3分もかからない筈なのだが20分以上歩いてやっと到着する。
帰りは人と一緒なので、容易に駅に着くのだが
自分でも何故行きの道で迷ったのか
理解できない程、簡単な道なのである。
よくよく帰りながら考えると二つの原因が考えられた。
一つは三回目とは言っても、その一回一回の間で
大きく時間が空いている事。
もう一つは初回に迷った時に、本当の道と
間違った道を両方覚えてしまい
次回までにどちらが正解なのか曖昧になり
必ず間違った道を選んでしまうという事である。
最初に変な癖をつけてしまうと、怖いモノである。
いい加減に、今回で覚えたはずだが
早いところで、このスタジオを使用する機会が無いと
また間違う可能性が・・・。

2003年12月23日

注射

今年もインフルエンザが酷くなるという予想なので
予防接種を受けに行った。
別にそれ自体は問題ないのだが、考えてしまったことがある。
よく、映画などで自分で自分に注射を打っているシーンを見るが
実際にそれをやろうと思うと、非常に勇気がいるものである。
おそらく自分が医者でも、出来るかどうか疑問である。
以前、飼い犬が病気になり、その注射を犬に打った事はあるが
その時でさえ、躊躇ったものである。
それを自分に打つとなるとなおさら大事のように思えてしまう。
しかしながら、人に打ってもらう分には
なんら気苦労もなく、平然としていられる。
ただ針を打つだけなのだが、不思議なものである。
これが針治療の針ならば、また気持ちも変わってくると思うのだが・・・。

2003年12月24日

お騒がせ。

世間はクリスマス。
ということで、お金がばらまかれたり、次々と芸能人の結婚が報道されたりと
非常に賑やかな様子である。
私はというと、昨日打った注射の担当医が下手だったらしく
左腕が派手に腫れている。
まるで、左腕だけボディービルダーの様である。
私とした事が、以前に教訓を覚えたのにすっかり忘れていたのだが
注射というのは基本的に小児科も一緒になっている病院で
子供を診察する機会の多い医者にやってもらうのが一番である。
当たり前だが、子供は一番注射にうるさい生物なので
この条件が揃っていると、だいたいの病院は上手くやってくれる。
皆さんも病院選びには気を遣おう。

2003年12月31日

視聴者争奪戦

今までNHKの紅白歌合戦の時間帯は
他の局の番組はあまり力が入っていなかったのだが
この数年で、他の局が視聴者を取得しようと
大きな番組を組むようになってきた。
実際、演歌を除けば普段から音楽番組で
見る事の出来るアーティストが多いため
他の局の番組の方が希少価値という面で勝っているように思える。
しかしながら、やはり恒例の紅白歌合戦も
負けじと色々な催しを考えていて
チャンネルを切り替えながらの対比が非常に興味深いものであった。
さて、今年はこのサイトをリニューアルして
非常に多くの方にアクセスを頂き本当に良い年となった。
最近では、一日に40人を超えるアクセスも数多くあり
12月はなんと1200人以上のアクセスがあった。
誠に有り難いものである。

来年もどうか御贔屓に、よろしくお願いいたします。
皆様の健康とご多幸を祈っております。
来年の私にどうぞご期待ください。

2004年01月10日

KICO宅

新しい企画の打ち合わせの為に
KICO宅へRIKOさんとお邪魔する事になった。
実はアパートなのに一軒家
しかも地図にはしっかりと彼女の名字で
表記されて掲載されているという素晴らしく奇妙な家らしい。
その話を前々から聞いてはいたのだが
確かめにわざわざ行く訳にもいかず
どうにも気にかかっていたのだが
やっとその機会が訪れたのである。
行ってみると、、、ほんとに一軒家である。
別に昔の長屋のように左右がビッチリくっついている訳でもなく
本当に一軒家である。
なるほど、これなら地図にアパートなのに
個人名で表記されるのも納得がいく。
そして、ミーティングを終えた後で
ついに念願のあの秘蔵ビデオを入手した。
別にあっちの方面のものではない事は言うまでもない。
それは彼女が出演しているマクドナルドの
ベーコンチーズダブルバーガーの
CMの映像が入ったビデオなのである。
これがまた記憶にうっすらと残っているだけに、面白くて仕方がない。
パソコンのデータに変換を頼まれて
そのビデオをお借りする事になった。
既に帰宅してから10回は軽く見ている。
普通に面白いものである。
おそらくCMでここまで面白かったのは数年ぶりな気がする。
これで数ヶ月は楽しめそうな勢いである。
他にもフィニッシュコーワのCMにも
コーラスで出演しているとの事なので
そちらの方もそのうち聞かせて頂こうと企んでいる次第である。
何ともいろいろな意味で内容の濃い一日であった。

2004年01月11日

戦慄の恐怖

2/29に予定されているLiveの打ち合わせにメンバーの家に行った。
打ち合わせ自体は何という事もなく
無事に終わったのだが問題は帰りである。
メンバーの一人のT氏が車を買ったのだが
ランサーエボリューションと言うらしく
素晴らしく走り屋っぽい雰囲気なのである。
そしてそのT氏は酔っぱらうと道に迷わずに行けるという理由だけで
深夜の線路を歩いて帰ったり
スキーに行くとなぜか遭難したりと
非常にある意味危険な人物である。
その彼が車を持ったという事は
ひどく危ない気がしていたのだが
案の定、、、運転が。。。。
帰りに送ってもらう事になったのだが
人の車で恐怖を覚えたのは初めてであった。
路地裏のような道で、あの速度とは・・・。
とにかくまいった。
夕食がリバースするかもしれないと、懸念していたが
そこは何とか堪え忍ぶ事が出来た。
事故を起こさないか非常に心配である。
しばらく私は、その影響で嫌でも安全運転を心がける事だろう。

2004年01月14日

里村メソッド

昨日からずっと里村メソッドを練習しているのだが
やはり難しい事この上ない。
これを極めるには相当な時間がかかると思われる。
初級編をちょっとやるだけなら、どうにでもなると思うが
発展させた応用編となると一気に難度が上がってくる。
しかし、この練習法は非常に優れていて
今後も続けていきたいと容易に考えさせる内容である。
また奥が本当に深いので、いつまでやっても飽きないだろう。
素晴らしいメソッドを直伝して頂いた里村さんに感謝である。

2004年01月17日

新年会

Everybody on the busでお馴染みDrumsの藤島さんの企画で
焼肉新年会が開催された。
メンバーはSoul Bumpin' Crewでいつも一緒にプレイする方々であった。
このところ練習の日々が続いていたところに
この企画は本当に良い息抜きになった。
いつも演奏中心であまり話すことが出来なかったが
これを機会に楽しいトークで盛り上がった。
リョウさんの新しいベースを考えるべく、翁川さんと関さんを中心に
ゾウサンをベーシックとした特別仕様のベースが考案され
爆笑の渦が巻き起こっていた。
一次会の焼肉の後、一同でゲーセンへ行きUFOキャッチャーで
大いに楽しんでいた。
特にKICOさんは自ら進んで(?)笑いのネタを提供していたようである。
二次会会場に行く間でKICO&RIKOのお二人は
ストリートミュージシャンの演奏を聴きながら
大声でカメレオンを熱唱していたようで
目の前を携帯を使いながら歩いていた女性に
素晴らしい歌声を披露していた。
その横であくまさんは踊り狂っていた。
その後、居酒屋にて音楽トークで盛り上がる。
一次会で散々食べているのだが、Soul Gamboの加藤さんを中心に
バカデカイ唐揚げを食し、楽しんでいた。
そして今度はボーリングへと新年会はまだまだ続く。
途中で一時抜けていたマンブーさんが戻って来て
4対4の対抗戦が始まる。
結果は2対1で私がいたチームの負けであった。
しかしながら翁川さんとマンブーさんの
球速の早い事といったらない。
しかも、それでストライク、スペアーと
素晴らしい成績をあげるのだから恐れ入った。
やっと夜も明けて始発が動き出した頃に、ようやく解散となった。
帰りはマンブーさんに途中まで送って頂いてしまった。
帰り道でマンブーさんの数年前の
宅録の素晴らしい体験談というか
失敗談と言うかをお聞かせ頂き
本当に最後の最後まで楽しい新年会であった。
ここまでバカをやって騒いだのは久しぶりであった。
本当に良い新年会となり、藤島氏には
感謝感謝としか言いようがない。
何となく今年は良い年になりそうである。

2004年02月01日

多国籍バスケット

一月はお休みだったが
毎月行われている多国籍バスケットに参加した。
今回は新しく韓国とフランスから仲間が加わり
非常に国際色豊かなバスケットになった。
韓国から来た兄弟がいるのだが
なんとテコンドーの使い手で
蹴り技を教えて頂いた。
いわゆる前方回し蹴りというやつである。
さすがに蹴り技最強と呼ばれるだけあり
素晴らしく華麗で力強いものであった。
バスケットの方も盛り上がり
バレーや最後にはダルマさんが転んだまで
大人数でやってしまった。
何とも懐かしい。
こうやって遊び感覚でスポーツなどをやると
テレビで国際問題だ何だと
やっている事が滑稽に思えてしまうのが
当然ながら不思議に感じる。
次回もまた楽しみである。

2004年02月04日

危険!

非常にまずい。
風邪をひきかけているのである。
鼻と喉が悲鳴を上げているのが解るのである。
とりあえず、多めに睡眠を取る事にしようと思う。
今、風邪をひいてしまうと忙しい時期なだけに本当に困る。
予防接種を受けているのでインフルエンザの可能性は
ほぼ無いと言って良いのが不幸中の幸いだろう。
というわけで、おやすみなさい。

2004年02月06日

逆走?

この時期になると所々で道路工事が行われている。
私の家の近くにトンネルがあるのだが
このトンネルも工事の予定に入っているようで
ただいま工事の真っ最中である。
このトンネルは少々カーブの
きつい所にいきなり設置されており
非常に注意が必要な場所でもあるのだが
工事の為に、片方の車線が現在不通になっており
夜間は片側通行になるのだが
この時に下り車線は逆走する事になるのだが
これが非常に新鮮で面白い。
普段、少々危険で注意が必要な場所だけに逆走してみると
一般常識に逆らっているようで、変に興奮してしまう。
このまま工事が終わっても逆走しないように
尚一層の注意が必要になりそうである。。

2004年02月07日

KICORIKO来宅

新しいプロジェクトの準備のため
KICORIKOのお二人が私の家にやってきた。
デモテープなどなどの制作や
今後の話などを色々と話したのだが
実はこの二人が来るにあたって
年末もしなかった大掃除で
実は昨日から大忙しだったのである。
普段は誤摩化し誤摩化しで
どうにか過ごして来たのだが
いざしっかりと目を向けてみると
本当に必要の無いものが沢山あり
物持ちが良いというか、ガラクタ至上主義というか、、、。
この整頓された感じが今年いっぱい
続く事を祈るばかりであるが、どうなることやら、、、。

2004年02月08日

ナイト・トレイン

表参道から少し歩いた所に
ナイト・トレインというお店がある。
実は2/22のLiveのリハが
そこであったのだが何とも面白い場所であった。
本来はライブハウスなのだが
たまたま借りることが出来たらしく
作りはカウンターがあり、客席がありと
いわゆるライブバーである。
大きさは小さく、15人程度で丁度いっぱいという広さで
たまにはこのような所でLiveも面白いかもしれない。
話は移って今回のLiveは色々と
楽しみどころが満載と言えるかもしれない。
タカノハシ氏はもう本気なので凝りに凝っている。
お暇な方は是非是非遊びに来て頂きたい。
おそらくストレスが発散できるだろう。

2004年02月15日

スタジオ

最近は都内で新しいスタジオを知る機会がめっきり減ってしまったが
タカノハシ氏の企画で、本日新たなスタジオを発見する事が出来た。
場所は三軒茶屋にあるのだが、NOAHと同じ通りにあり
通りに入ってすぐのところにあるので、アクセスは圧倒的に良い。
音は普通で、特に問題は見当たらない。
値段も普通であるが、レンタル機材が豊富なので
場合によっては非常に重宝できるかもしれない。
セブンイレブンの向かいの地下にあるので
役に立ちそうならば、使ってみてはいかがだろうか。

2004年02月19日

ヘルメット

道を歩いていると横断歩道で信号待ちになった。
そこで待っていると、いきなり「カコーン」と
小気味良い音が。。。
ふと見るとヘルメットが思い切り落ちていた。
しかも、どういう訳かフルフェイスである。
少し先に原付が止まって、持ち主が恥ずかしそうに走ってきた。
拾って、渡したのだが、そこで「なぜフルフェイスなのに落ちたの?」
とは聞けず、そのままにしてしまったが
今となっては非常に気になるところである。
スピードに乗っているいわゆる自動二輪ならば
風圧で落ちてしまうのも解るのだが
原付程度のスピードで、しかもフルフェイス・・・。
謎である。

2004年02月23日

羽田計画

まだ確定してはいないが羽田のLunaticでエビバスの他で
もう一つBANDを企画中である。
BANDと言っても小編成でDrumsもBassもない。
その打ち合わせと軽いリハを本日行ったのだが
思ったよりも良い方向で固まりそうである。
と言っても、準備段階なのでどうなるかは何ともいえない。
確定したら、Live Scheduleに掲載するので楽しみにして頂きたい。

2004年03月01日

風邪

ついにやってしまった。
風邪をひいたのである。
初期症状で気付いたので、散々に寝倒すつもりである。
ただ、今回の風邪は初期症状でも辛い。
というのも、熱もあまりなく、鼻も喉も平気なのだが
体の節々などにくる症状のなのである。
早めに気付いていれば大目の睡眠と
多少のビタミン剤で治ると思われる。
皆さんも是非気をつけて頂きたい。

2004年03月03日

危険

最近気付いて注意していることがある。
それはいわゆる「耳掃除」というやつである。
別に大した事ではないのだが、私の性質上
何かをする時には、可能な限り体の中の手の空いている部分で
他の事をしようとしてしまう。
例えば、運転をしながら助手席の人と話しつつ、音楽を聴き
指で里村メソッドの練習をする。という具合である。
体がついついそのように動いてしまうのだが
この「耳掃除」の時だけは集中しなければならない。
たまたま音楽を流したまま、耳掃除をしていたところ
いわゆるキメの部分で体がノッってしまい
キメにあわせて体が動いてしまったのである。
いやもう、痛いの何の、、、。
幸い、大事には至らなかったが、危険極まりない。
この性質も考えものである。
皆さんも是非気をつけて頂きたい。

2004年03月06日

KICORIKO

新規プロジェクトの打ち合わせの為
前回に引き続きKICORIKOさんが来宅した。
今回は熱い話し合いの元、大きく前進したと思われる。
この様な、身のある話も身の無い話も
非常に良い息抜きになったり
刺激になったりと、多いに助けられる。
プロジェクトの方はもう少し時間をかけないと
何とも解りかねる状況だが
上手く行けば面白いものが出来上がりそうである。
今後に期待して頂きたい。

2004年03月07日

不調

この所非常に調子が悪い。
風邪などの病気ではないのだが
何とも言えず、だるいのである。
相当気合いを入れないと指周りも遅く、音にキレがない。
疲れが溜まっているのだろうか。
少々多めに寝て様子を見る事にする。

2004年03月20日

ドカ雪!?

山中湖の二日目の朝起きてみると、外は・・・。
真っ白であった。
明け方からずっとドカ雪が降っていたらしく
一面雪景色である。
木々の枝にしっかりと積もり、手に取ると綺麗な結晶が出来ているのである。
今夜帰るはずだった1人は当然ながら、道路が封鎖される前に即出発した。
しかしながら、少し雪が小振りになったので出かける事にしたのだが
外をしばらく走っていると、今度は眩しいほどの快晴となったのである。
もしかしたら、今夜出発しても帰れたのでは・・・。
と疑問を残しつつも、石ころ屋という岩石の専門店など、色々と回った。
途中、藤島・田中両氏と河口湖畔を歩いていると
合宿らしい女生徒の一団に出くわし、写真を撮る事になった。
両氏はソフトクリームで手が塞がっていて、私が撮る事になったのだが
撮り始めてみると、次から次へとカメラを渡され
合計で10以上のカメラで彼女等を撮る羽目になった。
もう、後ろで藤島・田中の両氏は人目も気にせずに大爆笑である。
つられて笑って手が震えるのを堪えつつ、奇妙な写真撮影は終了した。
皆さんも河口湖畔を手ぶらで歩く時には、大いに気をつけよう。
夜になって気づいてみれば
結局のところ、雪はすっかり問題では無くなっていた。
明日の帰宅に支障はなさそうで一安心である。

2004年03月21日

最終日。

いよいよ最終日となった。
やはり疲れが多少なりとも溜まってきているらしく
車に酔いやすくなっている。
最終日は幼少の頃より来ていなかったサファリパークへ繰り出す事になった。
久しぶりに「動物!」という感じで、新鮮である。
大人になってから来てみても、十分に楽しめるのが良い。
最近はデジカメもさることながら、周りは携帯で必死に写真を撮っているのが
なかなか面白い。
やはりこういう時には携帯にカメラが装備されていると心強い。
その後、御殿場のショッピングモールで時間を潰し
渋滞30キロの東名を避けて、246にて帰路についた。
今回は本当に楽しい旅行であった。
良い気分転換になり、音楽にも一層身が入るというものである。
企画、運転などでRIKOさんや藤嶋さんには、ただただ感謝あるのみである。
ゆっくり休んで頂きたい。
お疲れ様、そしてありがとう。

2004年03月22日

またもや。

朝9時より、Fusion BANDのリハがあった。
この間の三軒茶屋のLiveに引き続きCrossover研究会の面々である。
Dimension,Murcus Miller,Dave Weckl,Bill Evans,T-SQUARE
Brecker Brothers、Herbie Huncockと
もう完全にFusionにどっぷりはまっている状態である。
しばらくSoul,Funkの世界にいたとはいえ
この間のLiveもあり、感覚が戻ってきたので
これまた結構楽しめるものである。
4/3から日曜日を除いて4/7まで、慶應義塾大学の日吉キャンバスにて
Crossover研究会の一員として出演しているので
新入生、ならびに冷やかしの方々は一度来てみてはいかがだろうか。

2004年03月24日

再リペア

昨日の調整から一夜明けて、弦楽器類を弾いてみると
中のロッドが効き過ぎたらしく、弦がビビっている。
講師の仕事を終えた後で早速田中さんに連絡をし、対策を聞こうと思ったら
もう一度来られるのなら、直して頂けるという優しいお言葉を頂いたので
すぐに昨日と同じ桜木町にある秘密の田中工房へ向かった。
また機材談義やGuitar、Bassの事をたくさん教えて頂き
本当に楽しい一時であった。
我が家の弦楽器類も、これでやっと使用に耐えうる状態になり
一安心と言ったところである。
元々、一番最初はクラシックギタリストだった私としては
使用に耐えられない弦楽器類を見ると少々悲しいところだったので
本当に今回はお世話になった。
田中さんありがとう。

2004年03月26日

オレオレ詐欺

私の祖母の家にオレオレ詐欺の電話がかかってきた。
ついに来たか、、、と思ったが
良く考えてみれば、今更この手に引っかかる人間も少ない。
即座に私が警察に通報し、手続きを完了させたが
未だにこの手で引っかかると思っている犯人にも
多少の同情を覚えてしまう。
何とも間抜けな連中である。

2004年03月30日

携帯メールのスピード

今度のLiveの資料を受け取りにタカノハシ氏とあった。
資料の受け取りには別に支障はなかったが、驚いた事が一つ。
その時に資料の説明をメールでメンバーに打っているのを見て
驚愕の事実が判明した。
彼は、携帯メールを入力するスピードが異常なまでに速い。
女子高生もびっくりである。
おそらく、どこぞの企業のパソコンに慣れていないおじさんよりも
よっぽど速いのである。
確かにパソコンを持っていない為、彼はメールは携帯のみとなるのだが
当然スピードが速くなるのは解るが、ここまでとは思わなかった。
私はキーボードに慣れてしまったため、携帯でメールを打つのが
非常に嫌いなのだが、ここまでスピードが出るのなら
少々練習する価値はあるかもしれない。

2004年04月01日

また今年も。

なぜなんだ。
嘘をつきたい4/1は決まって予定がない。
つまり、人と会わない。
結果としてエイプリルフールを満喫できない。
あーーーーー。
そんなこんなで一日が作詞作曲で終わってしまった。
音楽的には有意義だが、悲しい。
来年こそは必ず!

2004年04月03日

初日から・・・。

慶應義塾大学のクロスオーバー研究会として
オリエンテーション期間中の日曜日を除く7日まで
日吉キャンパスにて演奏を行っている。
初日からついつい調子に乗ってしまい飛ばしていたら
さすがに最後は疲れて眠くなってしまった。
先月のFusionBAND以来、すっかりFusionの感覚が
戻ってきており何とも爽快である。
後は最終日まで体力を持続させられれば万事OKだろう。
明日は休みなので、残りの3日分の体力を養う事にしたい。

2004年04月04日

休養ドタキャン?

昨日の疲れを癒し、明日からの鋭気を養おうと
休養日のつもりだったのだが
Liveのデモを聴こうと思い、MDをデッキに入れたら
「Disc Err.」
である。
クリーニングをしたり、時間をおいたり、再起動したりと
色々やったがウンともスンとも言わない。
結局、このMDデッキを修理に出しに出かける羽目になり
MDデッキが無い間の昔のポータブル緑再用のMDを
奥の奥からやっとの末、取り出す事に成功し
配線を終えて、気が付いてみればすっかり日は暮れて・・・。
と、こんな一日だった為、休養日は「おあずけ」になってしまった。
人生こんなもんである。

2004年04月05日

久々

一年以上会っていなかった友人たちに会う事が出来た。
全員元気だったが、良く考えると、やはり全員プレーヤーである。
つくづく音楽に携わっていない友人が少ない事に気付く。
さておき、皆とても上達しているようで楽しい事この上ない。
全然会っていないのにSessionの中で
いつの間にか心が通じている瞬間があり本当に良いモノである。
そんな理由で、頭の中はFusion一色で
すっかり体力を使い果たした一日であった。
明日のLantern SessionでプレイがFusionに傾きそうで怖い・・・。

2004年04月07日

最終日

慶應義塾大学クロスオーバー研究会のヘルプも
ようやく最終日となり無事に全ての日程を消化する事が出来た。
今回は本当に色々勉強になると共に
沢山の音楽仲間と知り合いになる機会を得て
幸せを感じると共に、感謝である。
今後も彼らと良い関係を築くことが出来れば幸いである。
新入生の方々は是非とも音楽に勤しんで頂きたい。
皆さん。お疲れ様。

2004年04月08日

休日

やっと丸一日休みを取る事が出来た。
映画やCDなどの溜めていたモノを一気に鑑賞したり聴いたりと
結局休みと言うより、やり残した事を片付けるような一日であったが
一息つけて、非常に良い休養が取れた。
明日からまた頑張ろうと思う。

2004年04月09日

選定

渋谷Selmer JapanにてSaxの選定を行った。
クロ研の新入生のSaxである。
幸い良いモノが見つかり、本人も喜んでいたので嬉しい限りである。
とにかく急いでという事だったので
おそらくSaxに触りたくて仕方がないのだろう。
この分ならガンガン上達して行きそうである。
期待の新人と言ったところだろうか。
是非とも頑張ってもらいたいものである。

2004年04月18日

ハードオフ巡り。

エビバスの田中・藤島両氏と共に
東京近郊にあるハードオフ巡りの旅に出た。
ハードオフと言うのはパソコン、楽器を始め
音響機器などの中古を扱うブックオフ系列のチェーン店である。
しかしながら、このハードオフは大きな店舗を必要とする為
都内にはほとんどない。
つまり23区ではなく、いわゆる東京近郊の
市の部分へ行かなければならない。
ということで、この道に詳しいお二人とハードオフ巡りと
相成ったわけである。
丸一日車を走らせ、何と5件も回り、帰った時は既にクタクタであった。
しかしながら譜面台が普通3000円以上するところを
840円で手に入れられるなど、予想以上の収穫と情報を得た。
3ヶ月に一度くらい回っていれば、色々な出物に出くわす事だろう。
是非とも次回に期待である。
有意義な一日であった。

2004年04月21日

Everybody On The Bus Web Site

緊急で渋谷AsiaでLiveを行うことになったエビバスのWeb Siteが完成した。
急ピッチだったので、まだ完璧とは行かないが運営開始である。
いやいや、色遣いを考えるのが一苦労であった。
エビバスは30日1日と、二日連続でのLiveとなりメンバー全員気合いが入っている。
皆様、是非Web Site・Liveともにアクセスして頂きたい。
http://onbrace.net/eotb/

2004年04月23日

準備

やっと時間が取れて、髪を切りに行く事が出来た。
行こうと思えば行けたと思うのだが、ついつい次の日の事を考えると
行く気になれないことが多かったのである。
心機一転した所で、明日のLiveの詰めをして準備は完璧である。
最近は田中さんに色々と面白い話を聞かせてもらったり
音楽を中心に幅広い情報網からの情報や、知識を教えてもらっているので
明日はご恩返しという事もあり、自然と力が入る。
また、次回から羽田でやっているTrioのメンバーが
身の回りが忙しくなり今後の活躍が期待される大久保氏に代わって
田中さんが入る事になったので
そちらでも色々と教えて頂くことが多いだろう。
明日は是非とも成功させたいところである。

2004年04月26日

祝!! 20000アクセス

気がついてみたら、20000アクセスを超えてしまったではないか。
しかもリニューアルしてからは素晴らしいペースでアクセスを頂き
本当に有り難い限りである。
今後も頑張って発展させていく所存なので
是非ともごひいきにして頂きたい。

2004年04月27日

暴風

素晴らしく暴風であった。
車で移動している時に、先頭で信号待ちをしていると
面白いように歩行者の傘が飛ばされている。
必死に追いかけるモノあり、力ずくで持ち続け
布の部分だけ飛ばされるモノありと
小さな人間模様が滑稽である。
私の友人はビルごと揺れていたようで、あまりの事にメールをくれたほどである。
このような風の日は楽しくて仕方がない。
雨があまり降っていない時に外に出て、傘なしで散歩するのが良い。
といっても、今日はそれが出来なかったので少々残念である。
皆さんは傘を飛ばされなかっただろうか?

2004年05月03日

風邪。

この所の急激な気温の変化からなのか、忙しかった為か
昨日の夜から風邪をひいてしまった。
大した事ではないが、やはり忙しい状態から急に休養を取ると
一気に疲れが出てしまったのだろうか。
急激な環境の変化はやはり体に良くないようである。
皆さんも是非とも気をつけて頂きたい。

2004年07月08日

格闘中

ただいまBlogをこのサイトに組み込むべく
必死にMacintoshと格闘中である。
普通にBlogのサイトでDiaryなどを公開するという手もあるのだが
それではあまりに芸がない。
と言うことで、一歩進んで私のサイトを
Blog対応にしてしまおうという目論見である。
しかしながら、これがまた大変である。
スタイルシートや滅多に使わないHTMLタグなどを研究しなおして
デザインをチェックしていかなければならない。
しかも、元々英語のモノなのでよけいに時間がかかる。
本当は今日あたりから移行したかったのだが、もう少しかかりそうである。
この格闘はいつまで続くのやら・・・。